2014年8月17日日曜日

ジェット☆ダイスケ氏の著書「YouTubeで食べていく」を読んだ。おもしろかった。

なかなかおもしろい本だった。



彼が書いているのは本人から聞いていたのだが、それを聞いてからずいぶん経ったな、という感がある。少し前にわたしのことも少し織り込みたいのでインタビューを、と言ってもらい、喫茶店でいろいろとしゃべった。わたしの言葉が上手に反映されていたのはうれしかった。



ビデオでのレビューを作ったが、早く直接彼にあって感想を伝えたい。





2014年8月6日水曜日

ScanSnap iX100は違う。今までのスキャナーと違う。この軽やかさはなんだ。

ScanSnap iX100、PFUさんから託されて使っている。もしかするともう手放せなくなるかもしれない、という予感がしている。

前モデルとなるS1100も手元にあるのだが、別物になっていて驚いた。
S1100、iX100ともに小型のハンドヘルドスキャナーといった態で大変に小さい。例えるならペンケースサイズ。デスクトップに置いておくのにまったく苦にならない大きさだ。オートシートフィーダーなしといってもこの小ささは驚異的だ。
実はS1100はわたしと共にスリランカで一ヶ月過ごしてきた相棒だ。旅行にスキャナー?と人に笑われたが、笑い事ではない。ひと月分の暮らしのための荷物、それになりにコンパクトにまとめたつもりだが、そのなかにあって持っていったことをそれこそ忘れてしまいそうなほど小さい。彼の地でのひと月、東京のオフィスと同じ環境を作ろうと考えての持参、もう一台デスクに据え置きしてあるS1300と同等の働きをしてくれた。

そしてそのS1100の後継機たるiX100、同等の外観を持ちながら、中身はまったく違う、コンセプトの違うマシンになっていて驚いたのだ。モバイルスキャナになっていた。
いや、S1100は十分にモバイルスキャナでしょう?そいう言う人も多くいる。わたしもスリランカ行きにモバイルスキャナと考えて持っていった。
そういう気分でS1100を見ていたのだが、iX100を手にしてその思いは吹っ飛んだ。



本物のモバイルスキャナはiX100だ。

iX100にはバッテリーが積まれている。
iX100にはWi-Fiが装備されている。
iX100にはコード類が出先で一切必要ない。完全コードレスなのだ。

驚いた。
スキャナが単体で、コードレスで、ストレスなく動くのだ。この気持ちよさ、軽やかさといったらない。
コンピュータに接続は当たり前なのだがUSBケーブル、Wi-Fi、共に使える。そしてiPhoneやスマートフォン、タブレットにワイヤレスでつなぐことが出来る。これがいい。S1100でもアプリを使ってコンピュータ経由でiPhone等にデータを受け取ることも出来たが、連携の鮮やかさや使い心地はまったく別物だ。

出がけにあわててスキャンしていた資料。時間がなければ出先でその作業をすればいい。

なにがよかったって、あの軽やかさ。
筐体自体の軽さもあるのだが、片手でつかんだ時の掴めてる感。
自動OFFもいい。これはScanSnapシリーズの美点の一つだがカバーを開くと電源が入りスタンバイ状態になる。こういうスピード感も軽やかさ、という感覚に繋がるだろう。

先ほども出がけにちょっと出番があった。
出かけようとして名刺入れに名刺がないことに気がついた。あろうことか30枚以上入るわたしの名刺入れには数日前に行ったトレーディングショーの時にいただいた名刺が満タンに入っている。だから名刺が切れていた。慌ててiX100の全面カバーだけを開いてiPhoneのWi-FiをiX100に切り替え。接続を確認してやおら名刺の束を握り、原稿挿入口に左右、左右と交互に名刺をどんどん入れて行って(名刺サイズなら2枚同時に読み込みができてきちっと切り分けがされる)30数枚をiPhoneの中に片付けた。あとは電車の中でお礼メールを書くだけだ。このスピード感は素晴らしい。
なんだったらそのまま鞄に放り込んでこの日の打ち合わせ後のカフェで資料と名刺をスキャン、即仕事に取りかかることも可能な訳だ。

なになにがどれだけのスピードで動く、というものではなく、運用でのスピード感。
ScanSnap iX100にはそういうものが確実にある。

2014年8月4日月曜日

飲食店の従業員が自店の味を知らない。

驚いた話がある。タイトル通りのことがとあるレストランで起こったのだ。

夜、お腹を空かせて入ったレストランだった。お腹が空きすぎるとメニューを選べなくなる。そんなことが食いしん坊のわたしにはままあるのだ。ここはひとつ、ウェイターくんの意見でも聞いてみるかとオーダーを取りに来た男の子に聞いてみる。

「お腹を空かせているんだよ。なにかお勧めはありますか?」

よどみなくお勧めを教えてくれる彼。
「お勧めは今が旬のXXを使ったこちら。お腹を空かせてらっしゃるそうなのでボリュームのあるこちらもどうですか?」

立て板に水のスマートな接客。うんうんいい感じ。気分がいいね。
さて、どうしようかな、どれに決めようか。そうだ。

「今あげてくれたメニューの中であなたはどれがいちばんスキ?」
「すみません、食べてないんですよ、、、」

あれっ?なにかおかしくないか。彼が自信たっぷりの顔で勧めてくれたあれはなんなのだろう。そう思ってしまった。

写真と本文は関係がありません

あまりにもあっさりと食べてないことを告白してしまった若い、悪気のないホール担当の男の子にあれこれ突っ込むのも野暮というもの。こめかみに力を入れて「ボリュームのあるのはこちら」と言われたメニューを指差してみた。からだから力が抜けてそれくらいしか出来なかったのだ。
力が抜けたのはもちろん、空腹のせいではなく。

コックたちは当たり前だが試食をする。作って、味見をしてブレをなくしていって。それは、当たり前。
ホールの子たちはどうなのか。ホール担当は最前線だ。お客に直接問われ、口をきき、サービスを行う。こういう大事なポジションの人間が味を知らないのはまことに脆弱だ。前線の塹壕に手ぶらで入るような行為だ。たちまち敵に足下をすくわれる。

オーダーミスや料理を皿の上に完成させた後に半端に残るもの。そういうものをコックはホールの子たちにまわしたりする。美しい伝統だと思う。忙しい時間帯、誰もが疲れてきたり集中力を失いかける時間帯にコックがディシュアップの裏に置いた小さな皿。それをホール担当がほんのわずかなスキを見つけて口に放り込み、急いで味わって飲み込み、またホールに戻る。そこにひらめきやアイディアが宿る。ホールに戻ったウェイターたちはその接客に先ほどのひとくちの味を生かす。そういう流れがあってもいい。
厳しい店なら、いや、こちらが当然であり正解、閉店後、お客が帰ったあとにそういう料理の半端なものや余ってしまって賞味期限が迫るものなどをみんなで食べる。気の効いた店長やホールリーダなどがいれば料理の説明と客にどう勧めればいいのか、説明なども入るだろう。

ところが、どうも最近の大手の大型レストランは管理が行き届いており予算達成が厳しくもあり、ロス管理と銘打ってこういうものを排除する動きがあるそうだ。確かにロスも減るし効率化できる。特に全国展開をするチェーン店などはその効果も大きいだろう。しかしそれで失うものは小さいものなのだろうか。

賄い補助、などという項目を設けて現金支給をしたりxx%引きを出来るようにする店もあるようだ。それは制度としてはいいかもしれない。が、しかしだ。コックや先輩から手渡しされる、仕事の場所でその場で食す料理のパワーは大きなものがあるのだ。現金などではダメだ。何割引もナンセンス。作った人から食べさせてもらう体験は偉大なものだ。作った本人がいて、そのうまさを感謝と共に直接伝える。どう作ったか、なにをこだわったか、すべてその場で、まだ口にその味が残っている間に自分に帰ってくる。
尊いものではないだろうか。

そこでホールの彼らは大きなものを得る。
感動や驚きと共に体験したあの味はこういう想いで作られるのか。それをホールでの接客に活かせはしまいか。素晴らしいスペシャリストの誕生だ。そこまでいってはじめて、つまみ食いが試食に昇華する。昇華するまでを辛抱強く待てるのが強いレストランなのではないか、とそう思う。

昨今、あまりにも杓子定規に白と黒を決着着ける風潮が強まっている。結構だがいきすぎると大変大事なものを失う、取り返しのつかないことになる。そういうことが多い気がしてならない。

2014年8月3日日曜日

動画。「港湾重機」

青海埠頭だったか。港で艀からの鉄骨の陸揚げ作業を見ることが出来た。



手元にはGoProとCanonのコンパクト、S120があった。S120だけを使ってデジタルズームを含めて動画を撮った。

どうも困ったものでコンパクトデジタルカメラの動画撮影機能でこれだけ撮れてしまう。しかも手持ちだ。ブラウザの上でちょいと見るには十分ではないか。



最近のわたしはiPhone5を手元に置いているのは変わらずだが、iPhoneと連携が出来るカメラを持ち歩くようになった。全部iPhoneで済ませられる時期は一旦おさまって、こんどはもう少しカメラらしい画を撮れたりズームや超広角で撮れたりできる、iPhoneでは出来ない部分を持つカメラをiPhoneと連携して使う、というスタイルに落ち着いた。



結局ネットに繋がっていなければという部分があぶり出され、なおかつやはり世の動きと同じく多少は画質も考える、という空気の中にいるのだなあ、と思い知る。