2013年7月28日日曜日

Adobe Lightroom5のユーザーミーティングでいろいろ聞いてきたLightroomの話し。


Adobeさんからお声をかけられた。Lightroom5のユーザーミーティングだという。
おいおい、なんで私に声を掛けるかな(笑)


もちろん、であるがMacオンリーできてしまった私のコンピュータライフ、Adobe社の製品にはやはりお世話になった。Photoshopはエレメンツを。ドリームウィーバーもやはり使ったしアクロバットやその他諸々、大昔にクォークエクスプレスと組み合わせて使ってたのはなんだっけかな。仕事、プライベート、いろいろなタイミングでいろいろな製品を手にしている。が。

それほど突っ込んだ使い方をしていないライトユーザーなんである。会場のAdobe社にいってみれば斎賀先生やダンボ氏、新しもの好きのダウンロードの早川さんをはじめとするMacお宝軍団が。弱ったな。プロばかりだ。仕方が無い、ここは一つほぼ使ったことのないユーザーが気になった、使う気分になったポイント、という観点でリポートに仕立てよう。


プロダクトマーケティングマネージャーのDavid Auyeung氏がやって来て直接私たちに熱弁を振るう。うむ、これはいいチャンス。いろいろ体験させてもらおう。

セッションの頭でDavid 氏が自身の写真へのこだわりを語ってくれた。Adobe社での肩書き以外に彼はプロカメラマンでもある。そんな話やユーザーでもある彼がなにをしたくて、どうしたくてLightroom5を鍛え上げたかを語ってくれた。
今回の新Lightroomの特性やカメラマンという立場からポートレートレタッチ関係のデモを見せてもらえた。これがなかなかおもしろい。スキンレタッチ、肌の上にのせるテクスチャをスライダーで透明度を変えてリアリティを出すテクニックや人間の肌、しわのレタッチの事例、大変参考になった。


またわざと広角レンズを使った撮影サンプルを出して傾き修正の事例やクラリティ補正などをその場でデモ、見応えがあった。RAWファイルはいじらずに編集=非破壊編集というアドバンテージやその作業途中、編集加工での履歴が残り、それを遡る事が可能という部分、履歴を使って分岐、修正を出来るというのには心が動いた。非破壊での編集作業は当然別の場所にもう一つデータを用意する事になるのでデータ容量は圧迫されるのだが現像前の元データをそのままに、というのは魅力的だ。こういう部分、日本人には特に響くのではないだろうか。元は変えずに、とかなにかあったときに、という考え方はフェイルセーフをわりと普通の人でも思い描く日本人的な感じだよな、となんとなく思う。

複数光源の写真での調整は素晴らしいものだった。Lightroomだけの機能なのだそうだ。フラッシュ光と自然光の混じるシチュエーションでの調整が出来る、などいうのはありがたいこと。


斎賀先生の質問で一部インターフェイスでPhotoshopとの違いがある部分があり使いにくい、という項目があった。これはとくにカメラ周りのソフトウェアなので考えた方がいいかもしれない。コンピュータ上の操作とは別次元である、という話しもあるが、私などの場合、カメラを選ぶ時、最新機能やレンズの明るさにもたしかに悩むが、最大のポイントはユーザーインターフェイス。前のモデル、慣れ親しんだ操作系を持つ現用のカメラから乗り換えて、いかになにも考えずにその場で箱から出して使い始められるかは大事なのではないだろうか。操作系が同じとはそういう事だと思う。同じことがソフトウェアにも言えると考える。古いままでいいとは思わないが生産性は操作性と直結している。考えて欲しい部分。
それと動画ファイル、4Kのフルサイズ書き出しが出来ないというのも少々歯がゆく思った。


総じて興味深いよいソフトウェアで、非破壊現像と強力なライブラリ管理が特徴のLightroom5、大納得だった。
いただいたノベルティのclomeleon likeの革表紙のノートとペンがよかったから言ってるんじゃないぞ。



*一度体験版(フル機能)使ってみるといいよ。
https://www.adobe.com/cfusion/tdrc/index.cfm?loc=ja&product=photoshop_lightroom



2013年7月25日木曜日

携帯電話とアプリで撮るモノクロ写真。


フィルムで撮っている方々に怒られるのを承知で。


モノクロームのコントラストがきつい写真をiPhoneでしばらく撮っているのだが、銀塩と心構えは同じである、と考えて撮っている。わざわざ、というつもりはないがひどく使いづらいアプリを使って撮影をしている。その名前を「HiCon Lite」という。このブログでのエントリも一本、ある。


デジタル写真ではあるが、ある一定の法則があり、そしてそれは説明されていないものであるというところの写り、描写という部分。このアプリならではの操作や使い出悪さ、不自由さ。何よりもワンシャッターワンチャンスであるこのアプリの使い手の悪さがカメラ感を強くしている。


ハイコンライト、というこれ。iPhone3Gの頃からのアプリだろうか。有料のハイコンプロはバージョンアップもあったがこれはほおりっぱなし。ただアプリを立ち上げ、シャッターを押し、写真がOKならイフェクトボタンを押す。それだけのアプリだ。しかしOSのバージョンアップが進むに連れ今では本来ボタンがあるべきはずの場所にそれがなく、手探りすると機能するのだが、あえなくアプリはダウン。強制終了されてひやっとする。写真は何とかカメラロールに残る。一枚撮るたびにそれを繰り返す気難しいアプリになっている。が、仕上がりはかなり気に入っていて手放せない。

名前の通りにコントラストが強く、かつモノクローム専用のカメラアプリだ。撮りどころ、使い所を選ぶ特性を持っている。はじめの頃に感じたのが、昔の報道写真、新聞の写真のようだ、ということ。暗がりでフラッシュを使うとその感は強くなる。それがあって使い始めはもっぱら狭い路地の飲屋街を撮って歩いたものだ。フラッシュを焚くも焚かぬも雰囲気あるモノクローム写真が手に入った。だんだんどういう光でどういう画になるかのクセがわかってきてますます面白くなる。ここら辺はカメラだ、フィルムだ、という話より写真の話だし機械との付き合い方という話になる。それって昔のカメラとの付き合い方と本質は変わっていない部分、確実にある。


写真はシャッターの数分だけよくなる可能性があり、写真は人の作品を意識して見ることでよくなる可能性がある。デジタルもフィルムも、カメラの形、性能もそのことでいえば同列だ。

iPhoneをはじめ、いわゆる電話の類で写真を撮る人が多くいる現代、スマートフォンの小さなレンズと実態のないシャッターを軽んじるのはもうそろそろやめる頃合いではないだろうか。
カメラの、機械としての存在感やそれへの畏敬の念、化学変化で浮かび上がる不思議なフィルムという世界の素晴らしさはまた別として。

2013年7月21日日曜日

トンカツ、夏祭り、銭湯。如何にして下町でもやもやを脱するか、の術。

如何にもこうにも如何にもならない時がある。うーん、と唸ったまま動けなくなってしまうような、どうにもならぬ時。そういう時、うまい具合に巡ってきてくれるものがある。

うまいもんと銭湯だ。

今日なんかがまさにそうだ。仕事がうまく進まんし仕事自体が少ないし、然りとてやることがないわけではなく。いろいろと小さな事業の立ち上げをひねくってみたり、直近の日銭のなさを嘆いたり。
そうやってろくすっぽ食事もせずにたちまち夕方になって。部屋にいるのもくさくさするし、と出かけてみるがどうにも思わしいカレーに出会えず。さて、困った。本格的に困ったなあ、と当てもなく路地を曲がると。



みつけてしまうのだ。ほんとうに具合のいい、雰囲気ある、まったくもって大人の悩めるオトコが入るに相応しいみせ。トンカツや。いいじゃないか、トンカツとメシ。これだな、と決めてはいる前にふと並びをみれば。またみつけてしまうのだ。いいものを。銭湯だ。並びに銭湯がある。

その上路地の先の方から賑やかな声が聞こえてくる。そうか、祭りをやっているのか。
もう救われたも同然だ。さて、まずは腹ごしらえ。

外からみた佇まいですでにぐっとやられてしまった。行灯のカタカナ表記の屋号もいい。いうことがない、正しいトンカツやだ。暖簾をくぐるとその思いは確信に変わる。よし、もうなんだか古い日本映画の主人公の売れない作家を演じてやるか、と思うほどの程よい昔風。頼んで出てきたトンカツも、いうことがない。すばらしすぎない、これ以上でもこれ以下でもダメ、という絶妙な落とし所のロースカツ。キャベツも美しく、辛子の黄色が目にしみる。
出色は漬物と味噌汁。ちゃんとこういういいものが出てくると嬉しくなってしまう。これもまた飾らない、こだわりすぎない、でも素晴らしいもの。こういうものが殺伐としてしまっていた心と胃袋にじわり、染み込むのだ。


二杯のお茶と温かいおしぼりに感謝をし、うまいトンカツに手を合わせて店を出る。さて、腹ごなしだ。数百m先にぶら下がるたくさんの提灯を目指して歩く。にこにこと祭りから帰ってくるおばあさんや声をあげて走っていく小さな子供。気持ちが緩む。最近は街を歩いてもひどい場所、ひどい空気ばかりで街に出るのがすっかり嫌になっていたのだが、ここに集まっている善男善女は一体どこから湧いて出ただろう。

心和む小さな商店街のお祭りを冷やかしていると少々汗ばんできた。心地いい汗だ。さて、こいつを流しに行こう。

銭湯はあまり色気はなかった。マンションのなかに組み込まれている銭湯だ。しかし、ありがたい。世代替わりや相続で銭湯を廃業する人が多い。それに比べたらどうお礼をすれば、というくらいだ。マンション組み込みは銭湯の生き残りにはなかなかいい選択ではないか。

暖簾をくぐってサンダルを放り込み、木札を抜いて。番台のおじさんに今晩はをして。夢のように気持ちがいい。その上ここは下町、浅草橋界隈、お湯の温度は45度だ。熱いお湯、高い天井、広い湯船。いうことがない。
すっかり気分が良くなって、夜風に当たりながら神田界隈を歩く。とても心地よい。さて、抱えてた案件を片付けてやろう、という気持ちがむくむくと沸き上がってきた。

が、ここはそいつをもう一度引っ込めて、もう少し夜風を楽しむのが正しい選択というやつだろう。

たまには一人きり、なにもしない時間を作らねば。

2013年7月16日火曜日

夜の富山の路面電車。

先日所用で富山まで出かけたのだが、富山、路面電車が走っているのをうっかり忘れていた。駅前のエクセルホテルの階下に見える富山駅。その少し離れた路上に突然線路がはじまっていて、始発電車が待機している。
ちょっと魅力的な光景だ。



高知、富山、広島、長崎、豊橋、札幌、、、
路面電車が走る町はちょっと憧れてしまう。

今回は乗るチャンスがなかったので、撮るだけで我慢。乗りたかったな。

2013年7月1日月曜日

高円寺 元祖仲やむげん堂本陣で買ったエスニック柄ボディバッグ

ガジェットもいいのだけど、秋葉原とAmazonと楽天で買い物をする以外も選択肢があるという話し。
お洋服もそうだけれど、世の中便利で画一的なものが主流になる傾向が強い。当たり前っちゃあ当たり前なのだが、それじゃあ何かこう、自分の日々の楽しみをずいぶん失ってしまっているんじゃないかなあ、と思う事が多くある。



例えばこの動画に出てくるボディバッグ。

高円寺にあるエスニック雑貨、インドやタイやらネパールやら。アジアの各国からやってきた雑貨であふれる楽しいお店だ。縁がない人にはまったく縁がない店であろう事は容易に想像がつく。そういう縁のない人は、ここのような店が道を歩いていると変なオーラが出ていて入れなかったり、逆に見えなかったりするようだ。わかる。わかる。
が、もったいない。

機能でいったら中にスポンジが張り巡らされ、コンパートメントをかっちりサイズ分け、ここはiPad、ここはスマートフォン、メモリカードはここ、という作りのバッグがいいよな、と思う人も多いだろう。
事実、このエスニック柄のボディバッグは精密機器であるガジェットをそのまま入れるには不都合な点もある。が、それは工夫でカバー出来るものだ。

そして、デザインはどうか。

自分が気に入ればよい、ももちろん当たり前だが、人にみられてかっこいと思われたり組み合わせのセンスがいいね、といわれたり、そういうおもしろさもあると思うのだ。決して他人の目を気にして、という話しではなく、いろいろ見て、文化を知ったり話を聞いてストーリーに打たれたりして選ぶもの選びは楽しいものだ。エスニック雑貨にはそういうものが多い。

いつもの店で楽して選ぶばかりが買い物ではないし、新しい何かを常に探すのは楽しい事だと思う。そこから生まれるもの、つかめるものは多い。幅を持つ、というのは楽しい事だ。