なぜそんなことをこのタイミングで思ったのかは、よくわからない。
台風の午後、車で通りかかった千葉の少し外れの古いベッドタウン。そこがわたしの叔父が住む家のそばだと急に気がついた。
実は妻の実家がここから車で10分ほどの場所にある。妻の実家の義父と義母にはたいへんによくしてもらい、暖かく扱ってもらっている。ここら辺はいつ来ても心地よい場所だと感じていた。
叔父の家がそのそばにあることをわかっているはずだったが終ぞ思い出したことがなかった。なぜなのかはきっと深層心理なんぞをそちらの専門家に見て貰えばすぐにわかるのだろう。わかりたくもないが。
子供の頃に従兄弟と遊ぶためわりとよく遊びに来たこの場所。小学生の頃の従兄弟とわたしはとても仲が良かった。今ではよく来た、というワードだけが頭に残り、それ以外の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
近隣まったく覚えておらず、そばに公園があったことも意外だったし、ナビゲーションを見てみるとよく加曽利貝塚まで遊びに行っていたなあ、子供にとってはずいぶん遠いんじゃないか、という距離のことも思ったりもした。
そしてこの記憶がすべて。そんなこと以外、なにも思うところがないことにも気が付いた。
叔父は叔母に先立たれ、一人でここに住んでいるはずだ。
叔父は長男なのだが家業を継がなかった。私の父が次男として家業を継いだ。それはいい。年老いた彼の両親、私の祖父と祖母の面倒を見なかったのはなぜなのだろうと今でも考えることがある。
忌み嫌われていた、とは言いたくないがそんな叔父はやはり兄弟の中でだんだんと説得力と存在感がなくなっていった。子供のわたしも敏感にそれを感じていた。
果たしてわたしのiPhoneには年賀状だけに使う、いや、それさえ途絶えて使うあてのない住所録の叔父の名前の後ろにポツリと住所が載っていた。そのまま地図に切り替えて車での道案内をさせると気がついた場所からわずか4分でたどり着くらしい。なんとも言えない感慨を感じた。
辿り着いた叔父の家はぱっと見小綺麗な白い四角い家で、いかにも公務員が好みそうな決まった規格で正確に作られた家、という匂いがした。 よく見ていくと手入れが残念ながら行き届かない庭と二階の窓の中に見える半分落ちて傾いたシェードと雑多な置物が見える。妻を失った老人、そんな言葉が頭に浮かんだ。
昔きた時の記憶は繰り返すが、ない。まったくないのだ。それもあってかまったくリアリティがないのだ、この中に年老いた彼が住み、近所の寂れた店で惣菜を買い、逆に新しすぎて白々しいスーパーで弁当や靴下を買い、というイメージが浮かばない。
オチも何もない。ただモヤモヤとした思いが胸の中に残った。叔父に会うつもりはもちろんなかった。そそくさとその場を立ち去りクルマに戻った。ほっとした。
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