2012年5月19日土曜日

亡くなった叔父と残されたコーヒー。


先日叔父が亡くなった。

若くもなく、かといってまだ亡くなるには早かろう、という年齢。癌であった。
癌、なぞよくある話し、の現代。それにしても知人を癌で失う確率が大変高いように感じる。わたしも他人事ではないわけだ。



通夜に出て、実感がわかぬまま別れを告げて。

しばらくして彼の奥さん、義理の叔母からなにか届いた。
叔母はさばさばした人で、通夜ではずいぶん涙をこぼしていたが、そのあとはさっぱりしたもので、さっさと今住んでいる家を売る算段をして都心に一人で住むのに手間がない部屋を手に入れるため動いている様だ。そういうのは、いい。嫌いじゃない。


包みは通夜のお返しのようだった。
おや、当日持たされて帰ったのだが、と思い、包みを開けるとやはり通夜のお返し。レギュラーコーヒー。ディスポーサブルタイプの簡易ドリッパーが付いたものだった。通夜の晩にもらって帰ったものとは違っていた。たいして包んでいかなかったのだが叔母の心遣いがうれしかった。


そういえば、叔父はタバコとコーヒー好きだったものなあ。
そんなことを思い出しながら、普段は飲まぬコーヒーを飲んだ。

個包装になっていて、たまに1杯ずつ封を開けては飲む。ふと思い出しては飲み、そのたびに包みが減ってゆく。それほどの感慨はない、気がする。
が、1杯飲むたびに叔父が亡くなったのだ、と確認している自分がいる。

自分が死んだら、妻は何を選んで皆に渡してくれるだろうか。
こういう故人を思い出させるものを選んでくれるとうれしいものだ。
こういうのはいい。そう思う。

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