「これ、どうやって作るんですか?」
「スパイスなに入れているんですか?」
「炒め具合の止めどころと出汁を入れるタイミングってどんな具合でしょう?」
こういうことを調理人に罪なく聞く人が多い。
正直に言おう。こういう質問にまともに答えている調理人は、いない。
当たり前だと思う。
それは彼らの生活の糧になるものだからだ。彼らはそれを何年、何十年もの時間をかけて学び、自分のものとして作り上げてきた魂こもる大事なものだ。
たとえば、だ。
陳健一さん、ナイル善己さん、落合努さん。みんな雑誌や本にレシピを出している。だったら聞いてもいいじゃない。そう思う人はその掲載されているレシピ通り作るといいと思う。どういう風にやっても四川飯店やナイルレストラン、ラ・ベットラの味にはならないはずだ。
そのことを、ひどいじゃないか、サギだ、と言うだろうか。
シェフが悪いのではない。あなたが悪いのだ。例えばあなたの家庭用の厨房機器、それでは火力がまったく足りない。その安いフライパンの薄さではきちんとした火のコントロールができない。同じものを揃えたあなた、今度は残念、腕と修行期間が足りていない。彼らと同じく数十年間プロの現場にいたことのないあなたでは色々な部分でどうしても差が出てくる。
そこを鑑みて、それを踏まえてシェフたちは簡略なレシピをあなたの腕と厨房機器に合わせて書いてくれているのだ。それでも同じレシピを欲しい?ではそれなりの敬意と支払いを、シェフたちに。
数十年かけて自分のものにしたレシピの対価をちゃんと払うのだ、聞いた人は。莫大な金額になるだろう。当たり前だよね。
それとレシピ本。意味がないわけではない。ただ、そのままそれを作るのか、咀嚼や研究をそこを起点としてやってみるのか、やらないのか。そのことがあなたの本棚に眠る何冊もの良心的なレシピ本を活かすか殺すかを決めるのだ。
あなたは何のジャンルのプロフェッショナルなのだろうか。そのプロフェッショナルな世界にまったく関係のない人がやってきて「あなたのその技術、すごいね。私にもできるようにこの場で教えて」と罪ない瞳で言われたときに、あなたはどうするだろうか。
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