とある近所の有名ラーメン店に行った。初めての訪問だ。もやしの大盛りや追加のニンニクが有名なのだそうだ。若い人や身体を動かす仕事の人が好んで食べに行く濃いめの味付けと聞いていた。そういうのは結構好きだ。繁盛店のようで店の従業員のにいさんたちは一所懸命オーダーを回しているなあ、と見えた。
券売機があって、懐かしいプラスティック片がからんと出てくるあれだった。チャーシューのたくさん入った名物のラーメンであろうか、それを選んだ。
席に座って札をカウンターに出してラーメンを待つ。お客は皆一人客の様子で黙々とラーメンをすすっている。こういう雰囲気、嫌いではない。なんとなく、見ず知らずのお隣さんに同志、という感じを抱いてしまう。
さて、どうやら私のラーメンの番のようだ。出てきたラーメンはもやしが山のように積み上げられとても面白い。すごいなあ、と食べ始める。数分して店員がやってきて不機嫌そうな顔をこちらに向ける。
「困るんだよね、こういうの」
「え?」
なんのことかわからずぽかんとしていると、店員は続ける。
「券、裏返しておいただろ、これじゃあわからないだろう」
まだわたしには事態が理解できない。この店員は何を言っているのだろう。じっと彼の顔を見つめると、彼は眉をひそめてわたしの顔を一瞥すると黙って小皿に盛った数枚のチャーシューを無言で押し付けて去っていった。
そういうことか。
どうやら券売機のプラスチック札はそのメニュー名は文字では書かれておらず、色分けと模様(線)が入っているいないでそのお客のオーダーを見て料理を作っているらしい。件の札、なぜだかその線が表だけに入っているようなのだ。
周りのお客はこのやりとりを聞きながらじっとわたしの顔を見ている。わたしはピンときた。この店はそういうローカルルールとそれに痛い目にあったりその痛い目にあっている光景を見て自分ではやらないようにしているお客だけの店なのだ。なるほど、そうか。そういう店か。
なぜ裏にも線を入れぬのだ、など意見は一切言うつもりはない。言う必要もないだろう。この店はそういう店だ。それ以上でも以下でもないしそれを求めることはナンセンスだ。そして繁盛店でもある。このローカルルールでいいと思ったお客だけが通っているはずだ。それでお店が存続して、雑誌やメディアにも掲載されている。それでいい。
ただ、わたし個人としては親しい、仲の良い友人たちにだけはこのことを伝えて気を付ける旨、言っている。友人たちにそのひどい思いをしないで欲しいと思うからだ。それを聴いても何も思わない友人もいると思う。それなら大丈夫。食べに出かけるのもいいだろう。
若いあの店員はまだあの店で働いているのだろうか。彼はなぜそういう言葉を選び、他の選択肢を持たなかったのだろう。今でも考えることがある。
一時期ラーメンの業界で流行った、いや、広告代理店やメディアのあいだではやった、と言ったほうがいいだろう。はやりのスタイルがあった。
店主に腕組みをさせて、太いタオルを鉢巻にして身に付けさせ、ちょいとPhotoshopで眉を吊り上げたり汗を光らせたり。背中に炎を合成して。そういうイメージを作ってカップラーメンやポスターや媒体に使っていた。最近は少し収まったようだ。あの頃は随分ラーメンに光が当たってラーメンって面白い、と多くの人が注目をした。とてもいいなと思っていた。が。
同時にあのイメージ戦略は少々心配であった。
撮影が終わり、スタジオを出る時に店主たちは鉢巻を解き、腕もおろして普段の穏やかな彼らに戻る。メディアとの仕事は終わったからだ。
が、市井の人々はそうは思わない。あの店主は怖くて男らしくてサイコーだ、と熱狂する。店に行ってラーメンを食べ、そういう目で憧れとともに店主を見る。悪くない。食は体験だし極個人的なものだ。それを含めて味なので彼の店に行ったお客はそれによって満足感がいつも以上に高くなったであろう。あのポスターに出ていた店主が目の前で腕をふるっているのだ。それは最高だろう。
そういう客の中から「彼のような男になりたい。ラーメン店をやりたい!」という人間が出てくる。修行を積めばわかることもたくさんあるだろう。あのイメージは実は幻想だと気付くものも多いと思う。が、そうではなく、あのポスターの腕っ節が強くて恐そうな店主になりたくて突っ走って行くものも出ると思う。あこがれの店主は自分の店で淡々と自分のラーメンを追求しているのに、だ。
それがこわい。飲食業はそういうものではないと思っている。それほどあの広告イメージは強力だったし、しかしその効果が強かったことで弊害も出たのではないか。そうも思っている。
あの店のわかいおにいちゃんがそういうフォロワーであるかどうかはわからない。が、あれがまかり通る、店もやるし客もそれを許す、という場所の空気はわたしには少々居心地が悪い。あそこにはもう行けない。人にも薦めない。否定もしない。ただただ袖を分かった。それだけのことだ。
どうも、ラーメンが苦手になってしまったのだ。とても、残念だ。
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