ニヤニヤしている場合ではないのだ。締め切りをとうに過ぎてしまった写真展の出品作品を選ばねばならない、そんなギリギリのタイミングなのだ。が、ニヤニヤは止まらない。
紙焼き写真を選ぶというこの楽しさ。うっかり忘れていた。大変なことだ。もったいない、こんなに楽しかったんだなあ。忘れてたなあ。
そして、フィルム写真なんて億劫だ、と思っていたことがぜんぜん間違いなのを今晩、安っぽい味のコーヒーをすすりながらこんな場所で思い知る。
「写ルンです」があるじゃないか。そうだよ「写ルンです」だよ。こんないいものがあるじゃないか。こんなにいいものなのか。まいったな。そして写ルンですは現役にして現代、最大のフィルム消費を司るカメラかもしれないなのだ。
このテーブルにばらまかれた写真は写ルンですで撮ったもの。
あのレンズ付きフィルムっての、意外や上出来の写真を撮ることができるのだ。本物の写真を、だぜ。本物の。ちゃんとレンズを通った光がほんのちょっとのあいだだけフィルムに当たって、感光して。そいつをラボで現像、科学変化の賜物である現像ってのを行って、パトローネの中身がネガフィルムになる。そいつを紙に「焼き付ける」のだ。印刷では決してないのだよ。「印画」、なのだ。
なんと楽しいことか。
写真を選びながら、この写真のこの時の天気や光はどうだったかな、とかこれは青くなっちゃったな、こっちは赤いな、とかひとり考えたりメモしたり。そういうの、ほんのちょっと前までやってたでしょ。写真マニアじゃなくても、お父さんやおばあちゃんだってやっていたはず。そういうのを色々思い出して、どんどん楽しくなっていく。想像力や集中力や、一射の大事さや。忘れてたけどそういうのを思い出した。
撮ってね、撮ったんだけど何を撮ったか忘れてさ、現像して「ああ、そうだそうだ!」なんてなったり。全部写ルンですで体験できるのだ。こりゃたまらない。
この単純かつ大胆なプロダクトは今だにその輝きを失わないまま、大方の人には見向きをされずに、それでもスーパーマーケットや観光地のみやげ物屋なんかにぶら下げられて使ってくれるカメラマンを待っている。
当事者じゃない人にはまったく透明なものとして受け取られてしまう「写ルンです」
しかしニーズはあるのだ。デジカメになって困っている人はたくさんいる。デジカメ自体がよくわからない人。使い慣れたフィルム、現像に出したりする行程を面倒ともなんとも思わずそのまま使い続けている層。写真は紙に焼くのが当たり前だと思っている層。そういう人たちが独り占めしているこの楽しさを、写ルンですで取り戻すのは、これはなかなかの快感だ。
そして、昔の流儀で写真を撮ってから、もう一度デジタルカメラに戻ってみると、写真の上手い撮り方がわかってしまうのだ。
試してみて、損はない。ほんとうだからさ、ためしてごらん。
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