2016年12月31日土曜日

スーパーアマチュアの時代。

ちょっと面白い動画を見た。
BSアニメ夜話、カウボーイビバップの回だった。ずいぶん前の動画だ。

カウボーイビバップはとても好きなアニメーション作品だ。スタイリッシュで音楽もよくてリズムがあってかっこいい。大人が見ても十分な見応えがあると思う。凝った作品だなあ、と思っていた。

いろいろな話や意見が出た中で、ひどく耳に残った数十秒があった。
BSアニメ夜話ではこんな話が出ていた。

『カウボーイビバップは全てが過剰なのだ。いい意味でスーパーアマチュアの作品だ。本筋、骨太のストーリーがなく、番外編ばかりを集めたような作品だ。おもしろいが物語の流れがない。各話がストーリーでつながっていない。』

『本来プロは事故が起こりそうなことはしない。たとえばこの作品ではアイキャッチを全話で変えるなどやっているがこれは危ない。チェック項目が多くなり煩雑になり、間違いが起こりやすい。プロは本編に力を注ぎ、楽ができるところは意図を持って力を抜く。それがプロだ。』

そんな話の後に、それをたとえ話にした会話が出た。

『プロは毎日決まった時間に店を開けてきちんと同じものを出す。今日来た食材を使って適当に(決まり事なく)作ってスープがなくなったら今日は店終わり!というやり方はプロのスタイルではない。全てがまかない的だ。店というのは決まった時間に毎日開いて同じ味のものが出てくるのが本物の店なのだ』

これは文脈からラーメン店のたとえ話だとわかった。

『これは映画監督の初期作品的なものだ。今まで見てきた、敬愛した、尊敬した偉大な監督たちの作品に影響を受けた全てのもの、ことを自分の初めての作品に全部つっこむ。高熱にうなされたようなすごいものが出来上がる。が、それはつづくものではない。』

さて、カレーの話。

いや、私がこれ以上語ることもないかもしれない。賢明な皆さんは今の文章で十分だろう。そして若い店主たちはその場所で足踏みしてはいないだろう。前へと進み、気づきがあるはずだ。が、気がつかずに足踏みを続ける店主たちはやがてその店を手放さねばならなくなるのだろう。

今年はスーパーアマチュアの年だった。そんな気がする。




2016年12月15日木曜日

叔父の家。

なぜそんなことをこのタイミングで思ったのかは、よくわからない。

台風の午後、車で通りかかった千葉の少し外れの古いベッドタウン。そこがわたしの叔父が住む家のそばだと急に気がついた。
実は妻の実家がここから車で10分ほどの場所にある。妻の実家の義父と義母にはたいへんによくしてもらい、暖かく扱ってもらっている。ここら辺はいつ来ても心地よい場所だと感じていた。

叔父の家がそのそばにあることをわかっているはずだったが終ぞ思い出したことがなかった。なぜなのかはきっと深層心理なんぞをそちらの専門家に見て貰えばすぐにわかるのだろう。わかりたくもないが。

子供の頃に従兄弟と遊ぶためわりとよく遊びに来たこの場所。小学生の頃の従兄弟とわたしはとても仲が良かった。今ではよく来た、というワードだけが頭に残り、それ以外の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
近隣まったく覚えておらず、そばに公園があったことも意外だったし、ナビゲーションを見てみるとよく加曽利貝塚まで遊びに行っていたなあ、子供にとってはずいぶん遠いんじゃないか、という距離のことも思ったりもした。
そしてこの記憶がすべて。そんなこと以外、なにも思うところがないことにも気が付いた。

叔父は叔母に先立たれ、一人でここに住んでいるはずだ。
叔父は長男なのだが家業を継がなかった。私の父が次男として家業を継いだ。それはいい。年老いた彼の両親、私の祖父と祖母の面倒を見なかったのはなぜなのだろうと今でも考えることがある。
忌み嫌われていた、とは言いたくないがそんな叔父はやはり兄弟の中でだんだんと説得力と存在感がなくなっていった。子供のわたしも敏感にそれを感じていた。
果たしてわたしのiPhoneには年賀状だけに使う、いや、それさえ途絶えて使うあてのない住所録の叔父の名前の後ろにポツリと住所が載っていた。そのまま地図に切り替えて車での道案内をさせると気がついた場所からわずか4分でたどり着くらしい。なんとも言えない感慨を感じた。

辿り着いた叔父の家はぱっと見小綺麗な白い四角い家で、いかにも公務員が好みそうな決まった規格で正確に作られた家、という匂いがした。  よく見ていくと手入れが残念ながら行き届かない庭と二階の窓の中に見える半分落ちて傾いたシェードと雑多な置物が見える。妻を失った老人、そんな言葉が頭に浮かんだ。
昔きた時の記憶は繰り返すが、ない。まったくないのだ。それもあってかまったくリアリティがないのだ、この中に年老いた彼が住み、近所の寂れた店で惣菜を買い、逆に新しすぎて白々しいスーパーで弁当や靴下を買い、というイメージが浮かばない。
オチも何もない。ただモヤモヤとした思いが胸の中に残った。叔父に会うつもりはもちろんなかった。そそくさとその場を立ち去りクルマに戻った。ほっとした。

2016年12月11日日曜日

ライターという看板を下ろそうかと思っている話。

なぜ山中湖をフロントガラスの正面に据えてクルマのシートに座りiPad miniで文章を打っているのだろう。なぜ1年半で新車のオドメーターが4万を指すのだろう。なぜ1日でカレー店に3店も行って、しかもそのうちの1店ではカレーを食べずにおしゃべりだけして出て来たのだろう。それもこれもたぶん必要だからだろう。そしてそれがなぜか生業(なりわい)になっていく。いや、微々たるものだ。世界はそれほど優しくない。しかし、その微々たるものを得ると、そういうものなのか、と思った優しい人々がまた同じような仕事の依頼を投げかけてくれて、微増する。不思議なものだ。

カレーの記事連載が月刊誌でもう5年ほど続いている。
今日は材木座の香菜軒 寓の店主に嬉しい言葉をいただいた。あなただから取材をして欲しいという店が、人がいるのだろう、だから連載が続いているのではないか、という言葉。それを大事に頭の奥の方に刻み込んだ。なるべくそれに沿って、なるべく心をそれに沿わせて。もともと飲食の現場に僅かだが10年ほど身を置いて、見て、聞いて、学んだことを忘れないようにしながら、店主の目線に寄り添って取材をして来たつもりだ。それが相手に伝わっているのかもしれない。だとしたらとてもうれしい。

最近わかったのはわたしはどうもライターではないのだろう、ということだ。
ライターが誌面で店主とニコニコ笑う写真を載せるのは少しおかしい。ライターが何度もテレビやラジオに出るのはおかしい。そうなのだろう。
ライターの仕事は媒体からお題をもらって、それに沿った取材をし、そいつをその媒体の流儀に沿って数多くの読者の咀嚼しやすい形に文章にして投げ返してあげることだ。媒体の性質を見越して取材を企画して作り上げることもあるだろう。それがプロフェッショナルライターだと思う。
わたしの名刺にはカレーライターと書いてある。キャッチーでおもしろい。そう思って使っている。しかし仲が良いと思っていた知人から厳しい言葉をもらった。それで、このかんばんをおろしてみようかと思っている。通用しない人が一人でもいたらそいつはダメなものだ、という教えを昔世話になった社長から教わって、今回は自分で咀嚼をしてもやっぱりそれは変わらなかった。
さて、どうするか。肩書きか。まだ肩書きがいらないほど素晴らしい人間にはなってはいないと思う。さて、どうするか。随筆家を名乗ろうと思ったが思いとどまっているところだ。