「追悼、ビレッジヴァンガード」
それと、文化屋雑貨店がなくなってしまうという衝撃的な知らせが届いてすぐ書いたエントリー。こちらにはむげん堂やガラクタ貿易の事にも少しふれた。
「文化屋雑貨店。僕らは雑貨と一緒に育ってきたんだっけな。」
僕たちはピンクドラゴンの山崎さんを失い、クリスマスカンパニーやビレッジヴァンガードから魂が抜けていく様を目にし、文化屋雑貨店を失い、F.O.B.CORPをも今回、失った。
かろうじてお茶の水ではなくなってしまったガラクタ貿易、それにアジア雑貨の元祖仲やむげん堂の各店に心を支えてもらっている。
ギフトショーにもう何十年も通っている。10年ほど感じているのは「海外渡航直接仕入れはもはやナンセンス」ということ。
バイヤーが海外に飛び、汗をかき、靴をすり減らして見つけてきた雑貨たち。そういう宝物のようなものと出会う場所だった雑貨店。しかし今や店頭に並ぶ雑貨たちはどれもみな「どこかで見たもの」ばかりになった。ギフトショーに行けばわかる。それらはすべてギフトショーに出展されている。トレードショーなわけだからそこで商談がなされ、数ヶ月後には国内の各地の店舗にその商品が陳列される。渡航開拓の予算もなく時間もかけられない時代、その流れは止められなかった。そこまではまだよかった。
15年ほど、わずか15年ほどのインターネットの普及とECサイトの乱立で雑貨バイヤーではなく、コンシューマーがバイヤーと同じスピードで「あ、これみたことある」の状態にモニターの前でなってしまう。これでは本当にどうにもならない。もはや世界には宝物はないのだ。
今あるものはもう古い。そうやってすこしづつ雑貨の価値が弱まってきたところに「ガジェット」なるものが現れる。カメラや電子機器、ちょっとした小間物を世の中でガジェットの名前で呼びはじめたのはいつの頃だろうか。なんとなく浸透してきている言葉。なんとなく、なのだが雑貨からがジェットへのシフトが始まり、盛り上がり、そして今。そのガジェットという新しい価値がまた色褪せつつある気がするのだ。
いま、キーワードが「アウトドア」というものに集約されてきた感がある。
雑貨、ガジェット。どちらも必須ではないが生活に潤いやおもしろさを与えてくれるもので、しかしともするとそのもの自体を手に入れて終了、的な流れもあった気がしている。それはやはり少し違っている気がしていて、その雑貨なりガジェットなりを使って生活がライフスタイルが変わるとおもしろい、という結果が大事という考え方。アウトドアギアなんていうものはそう非ねば存在価値がないし、それを目指して作り込まれているはずだ。
そういう流れを感じている。
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