2014年11月28日金曜日

ついに100円ショップでLightningを見つけた。「iPhone5対応充電専用MicroUSB変換アダプタ」

もう現行機はiPhone6の時代になったので、5、5sときてはや2年半近く経った。 iPhoneとiPadの充電、同期ケーブルの規格がドックコネクタからライトニングに変わってから、だ。

ついにこの日がきた。

いつか実現されるのではないか、とずっと思っていたのだが、現実になるとやはり驚いてしまう。100円ショップでLightning-MicroUSB変換アダプタが販売されているのを見つけたのだ。なんということだろう。ほぼあきらめていたのだが。




ご存知の通りドックコネクタからライトニングケーブルに切り替わった時、コネクタの中にシリコンチップが内蔵された。認証用のものらしい。つまり偽造もの、MFI PROGRAM、Made for iPhoneの規格に沿った設計とAppleの認証を受けなければ商品として世に出せない、と言うあれだ。偽物も流通しているのは皆さんも知っていると思うが、あれらは当然アップルストアには並ばない。なにかトラブルがあったときに、それを作ったメーカーもAppleも一切保証をしてくれない、と言うことだ。

ドックコネクタ時代も条件は同じではあったが、認証チップを入れるという徹底はなかった。ところがAppleのエコシステムの中で大きな漁場でもあるサードパーティアクセサリー界。Appleがより強いコントロールに取りかかるのは予想できた。

それにしてもやっぱり便利ではなくなった。ドックコネクタ時代は100円ショップでケーブルが買えた。出先でケーブルをなくしたり忘れて来たりしたときに、ずいぶん助けられたものだ。ライトニングの時代になってそれが途絶えた。多くの人が嘆いているのを聞いて来た。Appleに恨み言を言うのはナンセンスであるが、それでもなにかひと言、は人情っていうものだ。

そんななか、巣鴨の駅前にある100円ショップシルクと言うチェーンの100円ショップにこれを発見した。驚いた。とにかく試さねば、と急ぎレジにもっていってさっそく接続してみることに。袋から変換コネクタを出して、驚いた。そのやけにぶかぶかと大きいサイズも驚いたのだが、コネクタの先端に愕然とした。

コネクタの、本来金属で出来た先端の挿入部分がグレーのプラスティックで出来ていたのだ。それだけなら「まあそんなものか、大胆だなあ」くらいの感想で済んでいたのだが。当然着いているべき金属接点、8接点の裏表で都合16の金属接点があるはずの先端部。なんと片面がなにもない。つんつるてんのプラスティックなのだ。表を返すと接点が8つに足らない。これは、、、

ふとコネクタの表面を見ると「UP SIDE」の表記。
確信犯である。

Lightningコネクタの特徴、メリットとはなんだったか。表裏、どちらで差し込んでもいいと言うこと。それだ。それを見事に捨てている。コストカットだろう。この思い切りはすごい。100円で実現、の執念を感じる。

結果からいうと若干不安定ではあるが、接続充電が出来る。出来るのだ。
外でバッテリーが弱くなって来て往生、ケーブルは持っていない、なので100円ショップに、という今までの「ああよかった。助かった。」がそのまま実現された。本当に心から助かる。

ただし、だ。

コネクタ先端はプラスティック、もしものときに折れたりする可能性が純正や認証品よりも高いはずだ。保証もない。そして電源まわり、人が思うよりもずっと繊細な部分である。iPhoneは今や10万円するコンピュータクラスの価格を誇る電子デバイスなのだ。こわしたら泣くに泣けない。チップもどうなっているかわからない。OSのバージョンアップで使えなくなることもあるだろう。

それでも、どうしようもないシチュエーションはやってくる。自己責任を念頭に、使ってみる、100円ショップにこれがあることを覚えておくのも一興だ。

2014年11月17日月曜日

ゾウのボタンのついたエンジのバッグ。「Triangle Commuter Bag,Berry」またの名を「ひらくPCバッグ」

カバンはどうも好きみたいで幾つも幾つも買ってしまう。
が、使うカバンというのはなんだかんだで「いつものやつ」になることが多い。

私はスーツを着ない、組織に属さず楽しくもダメな感じで日々を過ごし、じつはたっぷりと仕事もしているという人間だ。なので自ずカバンなどもスーツ寄りではなく、カジュアル寄り。レザーっていうよりターポリン。黒、グレーというより明るいアマガエル色、とかそういうチョイスになりがちだ。バッグも然り、洋服も然り。
そんな中、友人のジェットダイスケが使っている変わったバッグを見せてもらった。名前を「ひらくPCバッグ」というそうだ。
開発から発売までの経緯は実はFacebookや開発のご本人、いしたにまさきさんのブログで拝見していた。ジェットダイスケは早々に買って持ったようだった。

正直に書いてしまうが、心はまったく動かなかった。自分寄りではない、と感じたのだ。
機能。自立、考えられた重心位置と収納物のサイズ当たりのレイアウト、ショルダーストラップの角度や太さ等々。そういう緻密に考えられた機能の部分はいいな、と思った。だいいち収納を想定されているもの、ガジェット類や取材のための道具関係、そういう部分がドンピシャで。が、やっぱり買おう、にはならなかったのだ。

もう一回正直に書いてしまうが野暮ったく見えたのだ。
誰もが持ち物や服装にはこだわり、自分の哲学みたいなものを反映したいと思っているのじゃないだろうか。少なくとも私はそうだ。カジュアル路線、それも大人っぽかったりスマートなものを好まないまま来てしまっていて、苦労することも多い。そんな私が地味目でクラシックなものを持つというのはどうも気が引けた。そう、地味目でクラシック、上品と言い換えることが出来るだろう。そういう風に見えたのだ。だから悪いものではないわけだ。購買層が見えるようだった。私は残念、そこから外れているようだ。

しばらく使っているターポリン製の小型のメッセンジャーバッグ、大変に気に入っている。ミルクベルリンというドイツの小さなブランドのもの。めっぽう便利なのだ。
蓋はかぶせではなく上部のジッパーなので邪魔にならずにひとめで中のものを確認できる。色はキレイな緑色。取り回し良く丈夫なカバンだ。何よりも気に入っているのがそのサイズ。いいところMacBook Air11と小さなカメラに本一冊、それとiPad mini、財布と身の回りの小物。それでいっぱいだ。小さなカバンなのだ。

実はそのお気に入り。ジッパーがこわれかけてきた。困った。同じものを買おうか、と探し始めたところだった。それと、半年ほど前からなのだが、とある仕事でホテルや百貨店、きちんと上着を羽織らねばならないレストラン等に出入りが増えてきた。困った。服が変わるとアマガエル 色のカバンは少し持て余す。

そんな時だ。深夜だった。
Facebookのフィードでエンジの洒落たカバンの写真をみた。あ、いいな!なんだかピンときた。リンク先に飛んでみると「EVERNOTE Market」とあった。ゾウのマークのクラウドノートのEVERNOTEだ。

「Triangle Commuter Bag,Berry」

というのが商品名だった。


あれ?これは以前ジェットダイスケが見せてくれたあれじゃないか。おやおや。色が変わるとこんなに印象が変わるのか。野暮ったさは払拭されて、逆に洒落た感じがする。スーツをきない大人が持って合い等しい雰囲気が醸し出されている。で、スーツに合わせるのもいけそうだ。銀色のメタル製のゾウのマークのボタンもちょっといい。
5分も考えずに購入ボタンを押してクレジットカードの番号を打ち込んでしまった。

翌々日やってきたこのカバン、予想以上にいい。そして以前みた印象より、小さい。ここが大事だった。

私はほおっておくとバッグを大きなリュックサックにしたり特大のマンハッタンポーテージのメッセンジャーバッグなんぞをえらび、使いもしないカメラや読みもしない本を詰め込んで、その重さを支えるのに精一杯になってろくすっぽ仕事もせずに外出先から逃げ帰ったり、電車でいくべきところを車で楽に済ませて付き合いの酒が飲めなかったりと、いろいろな損を繰り返してきている。

それを是正すべく選んだのが緑色の小さなメッセンジャーバッグだった。持ち歩きの量を制限する為だ。カバンのサイズは制限をするべきだと思う。そして持ち物は厳選をするべきだ。「実は使わないもの」は多い。工夫で減る荷物をわざわざ減らすことなく背負うのは全くもってナンセンスだ。

荷物が減ることによって、例えば仕事が一つ余計に済ませられることがよくある。
荷物が減ることによって、例えば撮りたかった写真や動画が撮れたりすることもある。
負担が少ない、ということはその分アイディアが出たり集中力が上がったり、もう少し遠くへ、という体力が残ったりで、悪いことが一つもない。あなた自身、身ひとつで済むようなやり方に仕事をもっていくのもスマートだしいいだろう。
小さなカバンはそういう風に自分を持って行くための良い枠だと思って使い続けている。

もしかするとこの断面が三角のバッグ「なんで上の方が狭くなるんだ、もったいない」などいう輩もいるかもしれない。
が、考えて欲しい。普段カバンって真ん中から上、空いてるよね。底の方、カバンの高さの1/3くらいしか荷物、入れない気がしない?そんなにいつでもカバンをみっちりいっぱいにすることは少ないだろう。私はそう。
この「ひらくPCバッグ」もそういう風にして使うとよりスマートだ。
せっかく自立して動くオフィスにして使えるのだから物の上にまたものを入れてパンパンにして使うのはスマートではない。ひらく、見える、取り出す、のスムースな心地よさというのは、ちょっと代えがたい。

サイズが小さく、大人の男性が持て余さずスムースに取り扱えるサイズ感。
それに合わせて持ち物を厳選する。ちょっとした、センスの必要なゲームのようなものだろう。
そして黒、グレー、赤いふちに入ったものなどちょいと野暮ったかった色のラインナップにシャレたベージュ(ウィート)やエンジ(ベリー)が加わった。色はそのもののイメージを大きく変える要素だ。
エンジはただべったりしたものではなく、ファブリックの表情がちゃんとある。とてもいい。

あらら、初めの頃に「これいらない」と言っていた私は、すっかりこれを勧める側に立っていた。

これ、いいと思う。「いつものやつ」になりそうな予感がする。


2014年10月14日火曜日

YouTubeでラジオ。ラジオ「スパイスな日々」第13回。

YouTubeでラジオ、というスタイル、最近ではやっているひとをちらほら見かけるようになった。

YouTubeは動画のサービスという頭があるひとが多かろうが、実は動画サイトとして認識していない層が増えていると言う。中学生が中心だそうだ。彼ら彼女らはYouTubeを無料で聞ける音楽サイトとして認識し、ポケットの中にしまったスマートフォンからイヤフォンだけを出して音楽を聴く。そう、映像は見ていないのだ。

それと別の層で、しゃべり中心にYouTubeを活用していたクリエイターが長時間のおしゃべり番組のスタイルの中で、映像は見られていないことに気がつき、静止画をおいて音声だけにしてラジオスタイルに切り替える者、Podcastで積み上げたコンテンツを改めて静止画を一枚つけ、違うプラットフォーム、違う視聴者層を求めてYouTubeコンテンツとして再びアップロードする者などが出て来ており、おもしろくなっている。



わたしは、といえば「カレーのラジオ」というのを独り語りのスタイルで少しやってみたが

現在頓挫中。写真家のこばやしかをる氏と一緒に作っているプロジェクトから「はぴ3こばぽん☆のよくばりカメラプラス ラジオ「スパイスな日々」」という番組をはや13回、続けている。今回第13回目はゲストに写真家の須田誠さんとタレントの弓月ひろみさんを迎えての新宿の喫茶店での収録。なにかのついでに流しておいて、ながら聴きをしていただければありがたい。

1時間半を越える長尺だが、なかなかおもしろい話しが聞ける、と自負している。





2014年10月9日木曜日

ローカルルール。

わたしがラーメンを苦手になった一件というのがある。もちろんこれはこの店だけのそのときだけの話であろうとは思うのだが。

とある近所の有名ラーメン店に行った。初めての訪問だ。もやしの大盛りや追加のニンニクが有名なのだそうだ。若い人や身体を動かす仕事の人が好んで食べに行く濃いめの味付けと聞いていた。そういうのは結構好きだ。繁盛店のようで店の従業員のにいさんたちは一所懸命オーダーを回しているなあ、と見えた。
券売機があって、懐かしいプラスティック片がからんと出てくるあれだった。チャーシューのたくさん入った名物のラーメンであろうか、それを選んだ。

席に座って札をカウンターに出してラーメンを待つ。お客は皆一人客の様子で黙々とラーメンをすすっている。こういう雰囲気、嫌いではない。なんとなく、見ず知らずのお隣さんに同志、という感じを抱いてしまう。
さて、どうやら私のラーメンの番のようだ。出てきたラーメンはもやしが山のように積み上げられとても面白い。すごいなあ、と食べ始める。数分して店員がやってきて不機嫌そうな顔をこちらに向ける。

「困るんだよね、こういうの」

「え?」

なんのことかわからずぽかんとしていると、店員は続ける。

「券、裏返しておいただろ、これじゃあわからないだろう」

まだわたしには事態が理解できない。この店員は何を言っているのだろう。じっと彼の顔を見つめると、彼は眉をひそめてわたしの顔を一瞥すると黙って小皿に盛った数枚のチャーシューを無言で押し付けて去っていった。

そういうことか。

どうやら券売機のプラスチック札はそのメニュー名は文字では書かれておらず、色分けと模様(線)が入っているいないでそのお客のオーダーを見て料理を作っているらしい。件の札、なぜだかその線が表だけに入っているようなのだ。
周りのお客はこのやりとりを聞きながらじっとわたしの顔を見ている。わたしはピンときた。この店はそういうローカルルールとそれに痛い目にあったりその痛い目にあっている光景を見て自分ではやらないようにしているお客だけの店なのだ。なるほど、そうか。そういう店か。

なぜ裏にも線を入れぬのだ、など意見は一切言うつもりはない。言う必要もないだろう。この店はそういう店だ。それ以上でも以下でもないしそれを求めることはナンセンスだ。そして繁盛店でもある。このローカルルールでいいと思ったお客だけが通っているはずだ。それでお店が存続して、雑誌やメディアにも掲載されている。それでいい。
ただ、わたし個人としては親しい、仲の良い友人たちにだけはこのことを伝えて気を付ける旨、言っている。友人たちにそのひどい思いをしないで欲しいと思うからだ。それを聴いても何も思わない友人もいると思う。それなら大丈夫。食べに出かけるのもいいだろう。
若いあの店員はまだあの店で働いているのだろうか。彼はなぜそういう言葉を選び、他の選択肢を持たなかったのだろう。今でも考えることがある。

一時期ラーメンの業界で流行った、いや、広告代理店やメディアのあいだではやった、と言ったほうがいいだろう。はやりのスタイルがあった。
店主に腕組みをさせて、太いタオルを鉢巻にして身に付けさせ、ちょいとPhotoshopで眉を吊り上げたり汗を光らせたり。背中に炎を合成して。そういうイメージを作ってカップラーメンやポスターや媒体に使っていた。最近は少し収まったようだ。あの頃は随分ラーメンに光が当たってラーメンって面白い、と多くの人が注目をした。とてもいいなと思っていた。が。
同時にあのイメージ戦略は少々心配であった。

撮影が終わり、スタジオを出る時に店主たちは鉢巻を解き、腕もおろして普段の穏やかな彼らに戻る。メディアとの仕事は終わったからだ。
が、市井の人々はそうは思わない。あの店主は怖くて男らしくてサイコーだ、と熱狂する。店に行ってラーメンを食べ、そういう目で憧れとともに店主を見る。悪くない。食は体験だし極個人的なものだ。それを含めて味なので彼の店に行ったお客はそれによって満足感がいつも以上に高くなったであろう。あのポスターに出ていた店主が目の前で腕をふるっているのだ。それは最高だろう。
そういう客の中から「彼のような男になりたい。ラーメン店をやりたい!」という人間が出てくる。修行を積めばわかることもたくさんあるだろう。あのイメージは実は幻想だと気付くものも多いと思う。が、そうではなく、あのポスターの腕っ節が強くて恐そうな店主になりたくて突っ走って行くものも出ると思う。あこがれの店主は自分の店で淡々と自分のラーメンを追求しているのに、だ。
それがこわい。飲食業はそういうものではないと思っている。それほどあの広告イメージは強力だったし、しかしその効果が強かったことで弊害も出たのではないか。そうも思っている。
あの店のわかいおにいちゃんがそういうフォロワーであるかどうかはわからない。が、あれがまかり通る、店もやるし客もそれを許す、という場所の空気はわたしには少々居心地が悪い。あそこにはもう行けない。人にも薦めない。否定もしない。ただただ袖を分かった。それだけのことだ。

どうも、ラーメンが苦手になってしまったのだ。とても、残念だ。

2014年10月6日月曜日

写ルンですにすべてが詰まっていた。光と影と化学変化の、本物の写真のこと。

深夜のファミリーレストランでひとり、ニヤニヤとしながらテーブルいっぱいに紙焼きプリントをばらまいている。
ニヤニヤしている場合ではないのだ。締め切りをとうに過ぎてしまった写真展の出品作品を選ばねばならない、そんなギリギリのタイミングなのだ。が、ニヤニヤは止まらない。

紙焼き写真を選ぶというこの楽しさ。うっかり忘れていた。大変なことだ。もったいない、こんなに楽しかったんだなあ。忘れてたなあ。
そして、フィルム写真なんて億劫だ、と思っていたことがぜんぜん間違いなのを今晩、安っぽい味のコーヒーをすすりながらこんな場所で思い知る。
「写ルンです」があるじゃないか。そうだよ「写ルンです」だよ。こんないいものがあるじゃないか。こんなにいいものなのか。まいったな。そして写ルンですは現役にして現代、最大のフィルム消費を司るカメラかもしれないなのだ。


このテーブルにばらまかれた写真は写ルンですで撮ったもの。
あのレンズ付きフィルムっての、意外や上出来の写真を撮ることができるのだ。本物の写真を、だぜ。本物の。ちゃんとレンズを通った光がほんのちょっとのあいだだけフィルムに当たって、感光して。そいつをラボで現像、科学変化の賜物である現像ってのを行って、パトローネの中身がネガフィルムになる。そいつを紙に「焼き付ける」のだ。印刷では決してないのだよ。「印画」、なのだ。

なんと楽しいことか。
写真を選びながら、この写真のこの時の天気や光はどうだったかな、とかこれは青くなっちゃったな、こっちは赤いな、とかひとり考えたりメモしたり。そういうの、ほんのちょっと前までやってたでしょ。写真マニアじゃなくても、お父さんやおばあちゃんだってやっていたはず。そういうのを色々思い出して、どんどん楽しくなっていく。想像力や集中力や、一射の大事さや。忘れてたけどそういうのを思い出した。
撮ってね、撮ったんだけど何を撮ったか忘れてさ、現像して「ああ、そうだそうだ!」なんてなったり。全部写ルンですで体験できるのだ。こりゃたまらない。
この単純かつ大胆なプロダクトは今だにその輝きを失わないまま、大方の人には見向きをされずに、それでもスーパーマーケットや観光地のみやげ物屋なんかにぶら下げられて使ってくれるカメラマンを待っている。

当事者じゃない人にはまったく透明なものとして受け取られてしまう「写ルンです」
しかしニーズはあるのだ。デジカメになって困っている人はたくさんいる。デジカメ自体がよくわからない人。使い慣れたフィルム、現像に出したりする行程を面倒ともなんとも思わずそのまま使い続けている層。写真は紙に焼くのが当たり前だと思っている層。そういう人たちが独り占めしているこの楽しさを、写ルンですで取り戻すのは、これはなかなかの快感だ。
そして、昔の流儀で写真を撮ってから、もう一度デジタルカメラに戻ってみると、写真の上手い撮り方がわかってしまうのだ。
試してみて、損はない。ほんとうだからさ、ためしてごらん。

2014年9月20日土曜日

賄い飯のないレストラン。

聞いたところによるとチェーンレストランの大手のいくつかは賄い飯がないのだそうだ。誠に現代風で、まあそうだろうな、と思うところある。が、真逆にそれはどうなのだろう、と思うところもある。

飲食の現場は戦争だ。戦いだ。厨房内の作業、調理は重労働で危険も多い。汗も冷や汗もかくことの多い現場だ。ホール業務もお客と接する真剣な現場で神経がすり減るものだ。どちらも同じく大変なのだ。
そういう中、賄い飯という素晴らしいものがあると励みになることは、少し考えれば理解できるだろう。

写真は本文とは関係ありません
ただメシを食らう、という行為とは少しニュアンスが違うのが賄い飯だ。それは研鑽の場でもある。新人の、皿洗いをそろそろ卒業するようなコックの見習いがここまで密かに勉強し、先輩の技を盗み取り、誰に言われるともなくやってきた調理の練習の成果を先輩諸氏に審判を受けるという場所なのだ。
あり合わせでかつ使っても支障のない材料を考え、アイディアを出し、時間を気にしながら作り上げて食べてもらい、そして指導を受ける。大切な修業の場所だ。
これがなければわざわざ研修場所を別で作らねばならず、また、はい研修です、でやる調理では得られない、尊いものが得られるのだ。

なにしろ先輩方の食事である。緊張感が違う。飲食の現場は皆さんが考えるよりも多少荒っぽい場所だ。立ち仕事で、くたくたになるまで働く現場での唯一の楽しみの時間。そのメインたる食事がうまくなければ現場の空気さえこわしてしまうことになりかねぬ。慎重に、真剣に、そして手早く。それが日々続いて研鑽となる。相手があっての自分の料理、という意識も生まれてくる。大変に大事なことだと思う。

飲食に従事するものも、また飲食ではなくとも自らそういう伝統、決まりがある場所を選んで働くことは尊い。
ただ日々マニュアルを見て手を動かすのではなく、自分で考え、動き、それを積んで店でも会社でもない、自分の経験、蓄積としていく、それができる場所を自分でえらぶのだ。そこで得たものは、まぎれもなく自分のものになる。

チェーンだ大手だではムリもあるかもしれない。が、大手だチェーンだ、だからこそ、自分の市場を育てることをせねばいけないのではないだろうか。資源は取り尽くしたらおしまいだ。企業は、社会は文化の上に成り立っている。その文化を自分たちで守り育てないと息の長い商売は出来ないのではないだろうか。商売というスケールではない。食の話しは人としての存亡というところまで考えてもいい話しではないかな、と思うところがある。

2014年8月17日日曜日

ジェット☆ダイスケ氏の著書「YouTubeで食べていく」を読んだ。おもしろかった。

なかなかおもしろい本だった。



彼が書いているのは本人から聞いていたのだが、それを聞いてからずいぶん経ったな、という感がある。少し前にわたしのことも少し織り込みたいのでインタビューを、と言ってもらい、喫茶店でいろいろとしゃべった。わたしの言葉が上手に反映されていたのはうれしかった。



ビデオでのレビューを作ったが、早く直接彼にあって感想を伝えたい。





2014年8月6日水曜日

ScanSnap iX100は違う。今までのスキャナーと違う。この軽やかさはなんだ。

ScanSnap iX100、PFUさんから託されて使っている。もしかするともう手放せなくなるかもしれない、という予感がしている。

前モデルとなるS1100も手元にあるのだが、別物になっていて驚いた。
S1100、iX100ともに小型のハンドヘルドスキャナーといった態で大変に小さい。例えるならペンケースサイズ。デスクトップに置いておくのにまったく苦にならない大きさだ。オートシートフィーダーなしといってもこの小ささは驚異的だ。
実はS1100はわたしと共にスリランカで一ヶ月過ごしてきた相棒だ。旅行にスキャナー?と人に笑われたが、笑い事ではない。ひと月分の暮らしのための荷物、それになりにコンパクトにまとめたつもりだが、そのなかにあって持っていったことをそれこそ忘れてしまいそうなほど小さい。彼の地でのひと月、東京のオフィスと同じ環境を作ろうと考えての持参、もう一台デスクに据え置きしてあるS1300と同等の働きをしてくれた。

そしてそのS1100の後継機たるiX100、同等の外観を持ちながら、中身はまったく違う、コンセプトの違うマシンになっていて驚いたのだ。モバイルスキャナになっていた。
いや、S1100は十分にモバイルスキャナでしょう?そいう言う人も多くいる。わたしもスリランカ行きにモバイルスキャナと考えて持っていった。
そういう気分でS1100を見ていたのだが、iX100を手にしてその思いは吹っ飛んだ。



本物のモバイルスキャナはiX100だ。

iX100にはバッテリーが積まれている。
iX100にはWi-Fiが装備されている。
iX100にはコード類が出先で一切必要ない。完全コードレスなのだ。

驚いた。
スキャナが単体で、コードレスで、ストレスなく動くのだ。この気持ちよさ、軽やかさといったらない。
コンピュータに接続は当たり前なのだがUSBケーブル、Wi-Fi、共に使える。そしてiPhoneやスマートフォン、タブレットにワイヤレスでつなぐことが出来る。これがいい。S1100でもアプリを使ってコンピュータ経由でiPhone等にデータを受け取ることも出来たが、連携の鮮やかさや使い心地はまったく別物だ。

出がけにあわててスキャンしていた資料。時間がなければ出先でその作業をすればいい。

なにがよかったって、あの軽やかさ。
筐体自体の軽さもあるのだが、片手でつかんだ時の掴めてる感。
自動OFFもいい。これはScanSnapシリーズの美点の一つだがカバーを開くと電源が入りスタンバイ状態になる。こういうスピード感も軽やかさ、という感覚に繋がるだろう。

先ほども出がけにちょっと出番があった。
出かけようとして名刺入れに名刺がないことに気がついた。あろうことか30枚以上入るわたしの名刺入れには数日前に行ったトレーディングショーの時にいただいた名刺が満タンに入っている。だから名刺が切れていた。慌ててiX100の全面カバーだけを開いてiPhoneのWi-FiをiX100に切り替え。接続を確認してやおら名刺の束を握り、原稿挿入口に左右、左右と交互に名刺をどんどん入れて行って(名刺サイズなら2枚同時に読み込みができてきちっと切り分けがされる)30数枚をiPhoneの中に片付けた。あとは電車の中でお礼メールを書くだけだ。このスピード感は素晴らしい。
なんだったらそのまま鞄に放り込んでこの日の打ち合わせ後のカフェで資料と名刺をスキャン、即仕事に取りかかることも可能な訳だ。

なになにがどれだけのスピードで動く、というものではなく、運用でのスピード感。
ScanSnap iX100にはそういうものが確実にある。

2014年8月4日月曜日

飲食店の従業員が自店の味を知らない。

驚いた話がある。タイトル通りのことがとあるレストランで起こったのだ。

夜、お腹を空かせて入ったレストランだった。お腹が空きすぎるとメニューを選べなくなる。そんなことが食いしん坊のわたしにはままあるのだ。ここはひとつ、ウェイターくんの意見でも聞いてみるかとオーダーを取りに来た男の子に聞いてみる。

「お腹を空かせているんだよ。なにかお勧めはありますか?」

よどみなくお勧めを教えてくれる彼。
「お勧めは今が旬のXXを使ったこちら。お腹を空かせてらっしゃるそうなのでボリュームのあるこちらもどうですか?」

立て板に水のスマートな接客。うんうんいい感じ。気分がいいね。
さて、どうしようかな、どれに決めようか。そうだ。

「今あげてくれたメニューの中であなたはどれがいちばんスキ?」
「すみません、食べてないんですよ、、、」

あれっ?なにかおかしくないか。彼が自信たっぷりの顔で勧めてくれたあれはなんなのだろう。そう思ってしまった。

写真と本文は関係がありません

あまりにもあっさりと食べてないことを告白してしまった若い、悪気のないホール担当の男の子にあれこれ突っ込むのも野暮というもの。こめかみに力を入れて「ボリュームのあるのはこちら」と言われたメニューを指差してみた。からだから力が抜けてそれくらいしか出来なかったのだ。
力が抜けたのはもちろん、空腹のせいではなく。

コックたちは当たり前だが試食をする。作って、味見をしてブレをなくしていって。それは、当たり前。
ホールの子たちはどうなのか。ホール担当は最前線だ。お客に直接問われ、口をきき、サービスを行う。こういう大事なポジションの人間が味を知らないのはまことに脆弱だ。前線の塹壕に手ぶらで入るような行為だ。たちまち敵に足下をすくわれる。

オーダーミスや料理を皿の上に完成させた後に半端に残るもの。そういうものをコックはホールの子たちにまわしたりする。美しい伝統だと思う。忙しい時間帯、誰もが疲れてきたり集中力を失いかける時間帯にコックがディシュアップの裏に置いた小さな皿。それをホール担当がほんのわずかなスキを見つけて口に放り込み、急いで味わって飲み込み、またホールに戻る。そこにひらめきやアイディアが宿る。ホールに戻ったウェイターたちはその接客に先ほどのひとくちの味を生かす。そういう流れがあってもいい。
厳しい店なら、いや、こちらが当然であり正解、閉店後、お客が帰ったあとにそういう料理の半端なものや余ってしまって賞味期限が迫るものなどをみんなで食べる。気の効いた店長やホールリーダなどがいれば料理の説明と客にどう勧めればいいのか、説明なども入るだろう。

ところが、どうも最近の大手の大型レストランは管理が行き届いており予算達成が厳しくもあり、ロス管理と銘打ってこういうものを排除する動きがあるそうだ。確かにロスも減るし効率化できる。特に全国展開をするチェーン店などはその効果も大きいだろう。しかしそれで失うものは小さいものなのだろうか。

賄い補助、などという項目を設けて現金支給をしたりxx%引きを出来るようにする店もあるようだ。それは制度としてはいいかもしれない。が、しかしだ。コックや先輩から手渡しされる、仕事の場所でその場で食す料理のパワーは大きなものがあるのだ。現金などではダメだ。何割引もナンセンス。作った人から食べさせてもらう体験は偉大なものだ。作った本人がいて、そのうまさを感謝と共に直接伝える。どう作ったか、なにをこだわったか、すべてその場で、まだ口にその味が残っている間に自分に帰ってくる。
尊いものではないだろうか。

そこでホールの彼らは大きなものを得る。
感動や驚きと共に体験したあの味はこういう想いで作られるのか。それをホールでの接客に活かせはしまいか。素晴らしいスペシャリストの誕生だ。そこまでいってはじめて、つまみ食いが試食に昇華する。昇華するまでを辛抱強く待てるのが強いレストランなのではないか、とそう思う。

昨今、あまりにも杓子定規に白と黒を決着着ける風潮が強まっている。結構だがいきすぎると大変大事なものを失う、取り返しのつかないことになる。そういうことが多い気がしてならない。

2014年8月3日日曜日

動画。「港湾重機」

青海埠頭だったか。港で艀からの鉄骨の陸揚げ作業を見ることが出来た。



手元にはGoProとCanonのコンパクト、S120があった。S120だけを使ってデジタルズームを含めて動画を撮った。

どうも困ったものでコンパクトデジタルカメラの動画撮影機能でこれだけ撮れてしまう。しかも手持ちだ。ブラウザの上でちょいと見るには十分ではないか。



最近のわたしはiPhone5を手元に置いているのは変わらずだが、iPhoneと連携が出来るカメラを持ち歩くようになった。全部iPhoneで済ませられる時期は一旦おさまって、こんどはもう少しカメラらしい画を撮れたりズームや超広角で撮れたりできる、iPhoneでは出来ない部分を持つカメラをiPhoneと連携して使う、というスタイルに落ち着いた。



結局ネットに繋がっていなければという部分があぶり出され、なおかつやはり世の動きと同じく多少は画質も考える、という空気の中にいるのだなあ、と思い知る。