月刊男性誌、ぶんか社の「エキサイティングマックス!」に連載を持っている。
いつでも大変に苦しんで書いている。なにを苦しんでいるのか。それは。
それは、必ず「自分の好きな店」「大事に思っている店」を取材先に選ぶから。
そして自分の好きな店の店主がどの店でも「任せた」と言ってくれるから。
私の原稿。取材先、お店には入稿する原稿のチェックはしてもらわない。
住所や営業時間等はもちろんきちんと公式のHPやショップカード等で確認、店主にも最新の情報はどれを見ればいいのか等は取材時に確認をする。そしてそれを編集部でもチェックを入れるという二重チェックのスタイルだ。
そういうなか、よく店主に「雑誌が発売されるまで原稿見せねえからな」など軽口をたたくことがある。するとどこの店主も「いいよ、任せたから」と口を揃える。「なに書いたっていいからさ」と。
さあ、ここからが苦労の始まりだ。
写真はイメージです |
なにしろ「任された」わけだ。全幅の信頼をわたしの文章、筆においてくれたわけだ。これは、相当に背に重い。当たり前だが真剣度は針が振り切れるくらいだ。そうやって背負うと、文章が長くなる。何もかも書きたくなるのだ。ところがここからまた地獄が待っている。想いの丈をぶつけた原稿。編集部から規定をもらっている約1200ワードから倍を超えることもままある。それを規定量に削っていく。大変に厳しい作業だ。全体のバランスを見つつ、絶対残したいものを残しながらバランスを保つ。ほとんど書き直しという時もある。ともすれば詰め込みたさが勝つあまりぶっきらぼうな文章になってしまったりもあり、反省の日々だ。
一つの原稿仕事にこれだけ熱を入れて書くのは、生活や仕事という話しから考えれば行き過ぎではあるかもなあ、とも思うこともある。が、やめられない。
話す機会があまりなかったのだが、わたしの文章、ブログや紙媒体、Webメディア、問わずに共通していることがある。これらの飲食店に関する文章は、すべてわたし自身のエゴの元に成り立っている。誤解を恐れず言ってしまえば読者のことなど考えていないのだ。まったく、自分のためだけに書いているのかもしれない。長く書き続けてそういう形になった。
それはなになのか、なぜなのか。
わたしはご存知の通り飲食関係の文章に関してはカレーというテーマに特化して活動している。カレーが好きだ。だからそうしている。単純だ。もちろんほかにも好きなものは多くある。イタリアンも、冷やし中華もたこ焼きも、みんな好きだ。
なぜこうも、二日と空けずにブログを書くのか。なぜ月刊誌にカレーで連載まで持たせてもらっているのか。これは、わたしのエゴなのだ。
大好きな飲食店がある。たくさんある。どこも好きで、うまくって、店主はいい人で、思うたびにたまらない。が、しかし。飲食業はなかなかむつかしい。うまいだけじゃだめだし、人柄だけじゃないし、近所にある大企業が移転することだってあるし。そうやって飲食店がなくなる。わたしの大好きな店が、なくなる。それは耐えがたいことだ。あの素晴らしかった代々木のスパゲッティの店「くじゃくの舌」スリランカカレーのブッフェでサンボルだってきちんとあった練馬の「ディヤダハラ」西荻窪の落ち着ける欧風カレーの店「トラトラ」。
なくなってしまったあの店やこの店が浮かんでは消える。
なくなってしまったあの店やこの店が浮かんでは消える。
たとえばあのとき、もっと通っていればあの店はなくならなかったのか。もっとがんばって通っていれば。しかし、現実問題、その大好きな店に毎日通って毎日1万円づつ落とすのはまったくもって現実的ではない。そこではたと気がついたのだ。自分だけで応援をやる必要はない。他の人の財布にも協力を求めよう、と。
そうやってブログで、メディアで、好きな店を紹介してゆく。結果、店は潤い、何らかの形で続いてくれる。そういうサイクルが出来れば、と常に思っている。そう、それはエゴなのだ。しかしそのエゴで不幸せになる人もいないはずなのだ。わたしはきちんといい店しか紹介しないし、そのいい店の基準を味だけ、値段だけには決してしない。そこでなにが起こってなにが楽しかったのか。体験を伝えたいのだ。味は当てにならない。人間の舌は、経験は千差万別で100人いたら100通りのおいしい、がある。それを伝えるのは至難の業だ。なので、体験を伝える。どう楽しむか、を伝える。どう感激したかを伝える。そういう風にいつもありたい、そう思っている。
未だ志し半ばだし、わたしの力、影響力なぞたかが知れている。わたしを知っている人はこれを読んで「いや、影響力大きいじゃない」と言ってくれる人も多いだろう。もう一度いう。わたしの影響力なぞたかが知れている。狭い範囲での、わたしなのだ。カレーなのだ。だから、大きな力を持ちそうなチームに参加してみたり、カレー好き、外食好きとは違うジャンルの人たちにリーチをかけようと、もがく。
外食は、楽しいのだ。得るものも多いのだ。それを伝えたい。
ただ外で食事をする、それだけの行為ではないというのを伝えたい。そんなの知ってるよ、という人はいい、これを読まなくても。きっと幸福な外食生活を送っているのだろうから。みっともなくてもなんでもいいから人との繋がり、気持ちのやり取り、そういうものを大きく内包する外食というものを、ちょっとでも後ろから踏ん張って押してやりたいといつでも思っているのだ。
そうやって、毎日カレーを食べている。
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