膵臓だったか、腎臓だったか。
長かったが最近では数年に一回という感じになっていたそいつらとの付き合い。それで連絡方法が途絶えた奴らもいて、わたしのところに連絡が来た。幸いFacebookでつながっているやつがいる。メッセージをしてほしいと電話の男は受話器を置いた。
インタビューに戻り、それを終え、メインインタビュアーをわたしのクルマで家まで送って。
そのあとにやっとメッセンジャーで告別式の案内のPDFを送った。程なく返信があって、ほかの友人からも連絡が入ったことが分かった。電話の男も、メッセンジャーの相手もわたしも、冷静で静かなトーンで事務連絡だけを終えた。
インタビューに戻り、それを終え、メインインタビュアーをわたしのクルマで家まで送って。
そのあとにやっとメッセンジャーで告別式の案内のPDFを送った。程なく返信があって、ほかの友人からも連絡が入ったことが分かった。電話の男も、メッセンジャーの相手もわたしも、冷静で静かなトーンで事務連絡だけを終えた。
ほんの少しのバタバタを終え、はじめに思ったことは「しまった、やつにはまだ用がある」、という思いだった。
いつだったか。iPhoneの3GSを持ってインドに行ったことがあった。当時早々にiPhoneで撮る写真のコミュニティやユーザーグループなどが立ち上がってきた頃だ。Instagramもまだなかった頃だった。インドではiPhone3GSを使って動画や写真をたくさん撮った。帰国してしばらくしてから動画はApple Store銀座のシアターで行われたイベントで上映、写真は新宿のハッティというインドレストランの壁を使って行われた写真展(二人展)で展示され、多くの方にご来場、鑑賞いただいた。大変に光栄だった。亡くなった友人は今晩訃報を電話で知らせてきた男とふたりでこの写真展にやってきた。一通り見て散々酷評をして帰っていった。これがなぜこの並びなのかわからない、この写真だけがほかの写真の中で関連性がない、わからない、わからないと様々な文句をつけて帰っていった。大変気分が悪かった。
後で思い出したのだが彼は写真をやっていたはずだ。当時のiPhoneで撮る写真と写真作品、コミュニティやその空気、彼はもしかするとその時そういうものを知らなかった可能性がある。いや、そんなものを知っている人は東京と大阪にひとつまみづつだった時代だ。そしてそれを知る必要も理解する責任も彼にはなかった。
そういう経緯で彼とは疎遠になった。
そうではなくても当時の仲間たちとたまに行っていたキャンプもあまり行われなくなっていたし、彼とだけでなく、中学高校時代によく遊んだ仲間は随分疎遠になっていた。
一度わたしが自動車事故にあったときに心配してメールをくれたが、返信をしなかった。ただそれだけだ。ただ、そのメールが実質彼とのやり取りの最後になった。後悔は先には立たぬ。そういうことだ。
彼がどう思っていたかはわからない。わたしが彼に対して腹を立てていたことを、もしかするとからは知らぬままだったかもしれない。今となってはなぜ彼があの写真を否定的に捉えたかもわからない。「やつにはまだ用がある。」ということだ。それは果たされなくなった。
くちをきくこと。しゃべること。顔を見ること。これはすぐさまやるべきことだ。インターネットなんてものを介していては遅きに失する。その事例がこれだ。このザマだ。彼の部屋の下に車を止めて、こんなことをいくら書いても彼は起き上がって降りてはきやしない。
だから、気が済んだから部屋に帰ろう。
未だ、彼が死んだなどまったくリアリティがない。信じられない。
あいつにはまだ用がある。
あいつにはまだ用がある。
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