2017年3月26日日曜日

【公開書簡(仮)】弓月ひろみ嬢を見ているのは楽しい、嬉しい。/イイヅカ

弓月ひろみ嬢がインタビューって話題で書いていた。
吉田豪氏にインタビューをされるような自分になりたい、ということだ。吉田豪氏が書くインタビューはいくつか読んだことがあるが、あまり詳しくない。

弓月ひろみ嬢は現在でも十分、そのパーソナリティを発揮しており興味深い存在だ。
友人であり、理解はしているつもりだが、ある一線をどこかに強く敷いており、そこからは何人たりとも通さない、という場所も持っている。まあ人として当たり前であるかも知れぬ。

しなやかな女性ではあるが、実は頑固なんじゃないだろうかと疑っているところもある。わざとそう書いたが、頑固=自分を持っている人間であり、そうでないと付き合ってつまらないだろう。付き合って面白い人物なのだ。彼女は。


そんな彼女を友人としてはや、、、何年経っただろうか。変化の兆しのようなものが今見えている。

転機、なのだろうか。
お年頃の彼女でもあるし、いい出会いもたくさんあった数年だったようで、それをそばで見ているのは楽しいし、頼もしいとも感じる。

彼女だけではなく、きっとそういう時期なのだろう。周りの友人たちがここまで蓄えてきた力を解放して仕事の一線に立つ姿を最近よく見る。そういう姿を見ながら心地いいものだなあ、と感慨に浸る。彼ら彼女らはその立ち上がる前の段階で色々な蓄積を積んできた。それを見て知っているから、その力を解放する姿を見るととても楽しい気分だ。

そんなこと言ってないで自分ももう少し努力をせねば。

仕事、自分でもう少し作っていかないとな。
そういえば最近ゆづちゃんは和菓子とか食方面はどうしてる?

http://blog.livedoor.jp/yuzukihiromi/archives/69521293.html

2017年2月25日土曜日

【公開書簡(仮)】弓月ひろみ嬢と会うと長くなる。/イイヅカ

弓月ひろみ嬢と会うと長くなるんだよな。毎度そうなんだよ。

それはそれなりに忙しい二人で、それはまあ大人やってて時間をひねり出すってのはけっこう大変なことだと思う。フリーランスは時間イコールオカネ、的なところがあってシビアになることも多いんだけどさ。シビアになるくらいお仕事多いといいよね、お互い。

弓月ひろみ嬢と会うと長くなるんだよ。

なんでかっていうと二人ともけっこうしゃべる。それで、久しぶりという状況がほとんどだから言いたいことも溜まってる。ちょいと戦友っぽいところもあって、お互いの戦果、戦況なんかを報告し合うのと次の作戦の立案だったり共同戦線を早々に張らねば、とかあの敵を撃破するにはどんな兵站を考えるかとか短期で勝敗を決せねばとか大勢を見据えて、とかそういう話し。戦友だな、やっぱり。轡を並べる(©︎アナベルガトー)なんてのはそうそうないのだけど、任官場所が違っていても戦友は戦友だ。

弓月ひろみ嬢と会うと長くなるのは濃いめの話が多いから。

いつでも濃いめの話になって面白い。わたしはここ2年ほどITとかガジェットとかの業界から少し距離を置いてしまっているのでそちらの方面の話はなかなか面白い。とはいえ噂話に終始するなぞ愚の骨頂。それはそれでちょいと触れるけど、やはりたどり着くのはわたしたちがどこになにを思って向かうべきか、などいうことが多い。


そんな長話しの二人は飯田橋にある香港 贊記茶餐廳(ホンコンチャンキチャチャンテン)に向かった。いや、わたしはもう着席していた。電車を乗り間違えた、あろうことか東西線と南北線を間違えるというワザとじゃないのか、というような楽しい乗り間違えののち30分遅れでやってきた弓月嬢を温かく迎えた。
香港 贊記茶餐廳はネイザンロードあたりからそのまま土地ごと引っこ抜いてきたんじゃなかろうか、という感じの香港丸出しのカフェだ。わたしは香港には行ったことがない。が、アスキー総研随一の本物の香港マニア、遠藤所長が太鼓判を押すのだから間違いなかろう。遠藤所長にはいつもカレーでお世話になっている。いつぞやは九龍城砦なきあと、香港のダークサイドを司ると言われた重慶大厦のインドカレー屋の階段脇に束で置いてあるカレーVIPカードとかカレープラチナカードとかが欲しいなあ、とポロリと漏らしたら早々にそれを手渡されたことがあった。魔法か!?と思ったよ。遠藤所長は本物だ。

そんな生粋の香港マニアも驚く現地感の香港 贊記茶餐廳は営業スタイルも香港流。店員さんが普通に真ん中のテーブルで賄いを食べている。そういうの、とても健康的だと思う。日本人は色々気にしすぎだ。そんなだからどんどんアジアの国に色々と負け始めている。

弓月嬢を待っている間に「カレー風味の炒めビーフン」をやっつけて、レモンコーラのアイス(ホットもある!!)を飲んでいた。さて、弓月ひろみ嬢到着。楽しいおしゃべり旅の始まりだ。もちろんおしゃべりの内容は二人のものだから、書かないよ。

弓月ひろみ嬢と会うとやっぱり長くなったよなあ。



2017年2月23日木曜日

バード電子のひらくPCバッグ用 カーゴ ストラップが良かった。

先日バード電子の斉藤社長からこれが届いた。これは最高だった。

商品名はひらくPCバッグ用 カーゴ ストラップ(2個セット)だ。
CS-MB-2という型番がついている。


ご存知いしたにまさきさんのところのヒットプロダクト、ひらくPCバッグに装着できるストラップ。こんなにいいとは思わなかった。

ひらくPCバッグは本当によく出来たプロダクトで、ちょっと後から色々するようなカバンじゃない。完成度が異常に高いのだ。だからいじりづらい。せっかくの完成品を色々するのはもったいない。



しかし、そこはさすがの斉藤さん目線。
パンチングのポケット部に目をつけた。カバンに傷ひとつつけないでストラップを装着できる。

これで長尺もの(三脚等)や濡れたもの(折り畳み傘)などがつけられる。すごくいい。
心なしか、クールなひらくPCバッグに愛嬌が生まれる感もあっていい感じだ。あまり重たいものの装着は推奨されていないが(600gほどを上限としているそうだ)自分で試していこうと思う。



で、それとは別にステキなおまけもいただいたのだ。OYAzgn。手渡しでしか手に入らないらしい貴重なおじさんのためのおじさん雑誌。これがまた素晴らしい。さらりと読んじゃうのはもったいない内容で、パラパラ見始めてパタリと閉じた。ゆっくり見よう。大事に読もう。
バードコースターもシールも入ってた!!。うーん、嬉しさ込み上げる。詰め合わせっていいよね。


あ、そうだ。久しぶりにラヂオケースだしてストラップ使ってひらくPCバッグにくっつけてみよう。そうしよう。




バード電子 ひらくPCバッグ用 カーゴ ストラップ(2個セット)CS-MB-2

2016年12月31日土曜日

スーパーアマチュアの時代。

ちょっと面白い動画を見た。
BSアニメ夜話、カウボーイビバップの回だった。ずいぶん前の動画だ。

カウボーイビバップはとても好きなアニメーション作品だ。スタイリッシュで音楽もよくてリズムがあってかっこいい。大人が見ても十分な見応えがあると思う。凝った作品だなあ、と思っていた。

いろいろな話や意見が出た中で、ひどく耳に残った数十秒があった。
BSアニメ夜話ではこんな話が出ていた。

『カウボーイビバップは全てが過剰なのだ。いい意味でスーパーアマチュアの作品だ。本筋、骨太のストーリーがなく、番外編ばかりを集めたような作品だ。おもしろいが物語の流れがない。各話がストーリーでつながっていない。』

『本来プロは事故が起こりそうなことはしない。たとえばこの作品ではアイキャッチを全話で変えるなどやっているがこれは危ない。チェック項目が多くなり煩雑になり、間違いが起こりやすい。プロは本編に力を注ぎ、楽ができるところは意図を持って力を抜く。それがプロだ。』

そんな話の後に、それをたとえ話にした会話が出た。

『プロは毎日決まった時間に店を開けてきちんと同じものを出す。今日来た食材を使って適当に(決まり事なく)作ってスープがなくなったら今日は店終わり!というやり方はプロのスタイルではない。全てがまかない的だ。店というのは決まった時間に毎日開いて同じ味のものが出てくるのが本物の店なのだ』

これは文脈からラーメン店のたとえ話だとわかった。

『これは映画監督の初期作品的なものだ。今まで見てきた、敬愛した、尊敬した偉大な監督たちの作品に影響を受けた全てのもの、ことを自分の初めての作品に全部つっこむ。高熱にうなされたようなすごいものが出来上がる。が、それはつづくものではない。』

さて、カレーの話。

いや、私がこれ以上語ることもないかもしれない。賢明な皆さんは今の文章で十分だろう。そして若い店主たちはその場所で足踏みしてはいないだろう。前へと進み、気づきがあるはずだ。が、気がつかずに足踏みを続ける店主たちはやがてその店を手放さねばならなくなるのだろう。

今年はスーパーアマチュアの年だった。そんな気がする。




2016年12月15日木曜日

叔父の家。

なぜそんなことをこのタイミングで思ったのかは、よくわからない。

台風の午後、車で通りかかった千葉の少し外れの古いベッドタウン。そこがわたしの叔父が住む家のそばだと急に気がついた。
実は妻の実家がここから車で10分ほどの場所にある。妻の実家の義父と義母にはたいへんによくしてもらい、暖かく扱ってもらっている。ここら辺はいつ来ても心地よい場所だと感じていた。

叔父の家がそのそばにあることをわかっているはずだったが終ぞ思い出したことがなかった。なぜなのかはきっと深層心理なんぞをそちらの専門家に見て貰えばすぐにわかるのだろう。わかりたくもないが。

子供の頃に従兄弟と遊ぶためわりとよく遊びに来たこの場所。小学生の頃の従兄弟とわたしはとても仲が良かった。今ではよく来た、というワードだけが頭に残り、それ以外の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
近隣まったく覚えておらず、そばに公園があったことも意外だったし、ナビゲーションを見てみるとよく加曽利貝塚まで遊びに行っていたなあ、子供にとってはずいぶん遠いんじゃないか、という距離のことも思ったりもした。
そしてこの記憶がすべて。そんなこと以外、なにも思うところがないことにも気が付いた。

叔父は叔母に先立たれ、一人でここに住んでいるはずだ。
叔父は長男なのだが家業を継がなかった。私の父が次男として家業を継いだ。それはいい。年老いた彼の両親、私の祖父と祖母の面倒を見なかったのはなぜなのだろうと今でも考えることがある。
忌み嫌われていた、とは言いたくないがそんな叔父はやはり兄弟の中でだんだんと説得力と存在感がなくなっていった。子供のわたしも敏感にそれを感じていた。
果たしてわたしのiPhoneには年賀状だけに使う、いや、それさえ途絶えて使うあてのない住所録の叔父の名前の後ろにポツリと住所が載っていた。そのまま地図に切り替えて車での道案内をさせると気がついた場所からわずか4分でたどり着くらしい。なんとも言えない感慨を感じた。

辿り着いた叔父の家はぱっと見小綺麗な白い四角い家で、いかにも公務員が好みそうな決まった規格で正確に作られた家、という匂いがした。  よく見ていくと手入れが残念ながら行き届かない庭と二階の窓の中に見える半分落ちて傾いたシェードと雑多な置物が見える。妻を失った老人、そんな言葉が頭に浮かんだ。
昔きた時の記憶は繰り返すが、ない。まったくないのだ。それもあってかまったくリアリティがないのだ、この中に年老いた彼が住み、近所の寂れた店で惣菜を買い、逆に新しすぎて白々しいスーパーで弁当や靴下を買い、というイメージが浮かばない。
オチも何もない。ただモヤモヤとした思いが胸の中に残った。叔父に会うつもりはもちろんなかった。そそくさとその場を立ち去りクルマに戻った。ほっとした。

2016年12月11日日曜日

ライターという看板を下ろそうかと思っている話。

なぜ山中湖をフロントガラスの正面に据えてクルマのシートに座りiPad miniで文章を打っているのだろう。なぜ1年半で新車のオドメーターが4万を指すのだろう。なぜ1日でカレー店に3店も行って、しかもそのうちの1店ではカレーを食べずにおしゃべりだけして出て来たのだろう。それもこれもたぶん必要だからだろう。そしてそれがなぜか生業(なりわい)になっていく。いや、微々たるものだ。世界はそれほど優しくない。しかし、その微々たるものを得ると、そういうものなのか、と思った優しい人々がまた同じような仕事の依頼を投げかけてくれて、微増する。不思議なものだ。

カレーの記事連載が月刊誌でもう5年ほど続いている。
今日は材木座の香菜軒 寓の店主に嬉しい言葉をいただいた。あなただから取材をして欲しいという店が、人がいるのだろう、だから連載が続いているのではないか、という言葉。それを大事に頭の奥の方に刻み込んだ。なるべくそれに沿って、なるべく心をそれに沿わせて。もともと飲食の現場に僅かだが10年ほど身を置いて、見て、聞いて、学んだことを忘れないようにしながら、店主の目線に寄り添って取材をして来たつもりだ。それが相手に伝わっているのかもしれない。だとしたらとてもうれしい。

最近わかったのはわたしはどうもライターではないのだろう、ということだ。
ライターが誌面で店主とニコニコ笑う写真を載せるのは少しおかしい。ライターが何度もテレビやラジオに出るのはおかしい。そうなのだろう。
ライターの仕事は媒体からお題をもらって、それに沿った取材をし、そいつをその媒体の流儀に沿って数多くの読者の咀嚼しやすい形に文章にして投げ返してあげることだ。媒体の性質を見越して取材を企画して作り上げることもあるだろう。それがプロフェッショナルライターだと思う。
わたしの名刺にはカレーライターと書いてある。キャッチーでおもしろい。そう思って使っている。しかし仲が良いと思っていた知人から厳しい言葉をもらった。それで、このかんばんをおろしてみようかと思っている。通用しない人が一人でもいたらそいつはダメなものだ、という教えを昔世話になった社長から教わって、今回は自分で咀嚼をしてもやっぱりそれは変わらなかった。
さて、どうするか。肩書きか。まだ肩書きがいらないほど素晴らしい人間にはなってはいないと思う。さて、どうするか。随筆家を名乗ろうと思ったが思いとどまっているところだ。



2016年11月30日水曜日

知りあいの女性の死。

ひどく心を乱されることがいくつか続いた。
そんな中で特に心を乱されたのが、顔を知っている女性が死んだことだった。
病気だったそうだ。闘病のことをわたしは知らなかった。

二本の足でしっかりと、しかしスーッと立っていて、強さと美しさを併せ持っていて、キリッとしていて。こちらの心を見透かされそうで。
わたしのような男は彼女の前に立つといつでもきまりが悪くて目を合わせられなかった。 尻尾が両の足の間に入ってしまうような居心地の悪さと憧れがいつでも腹のなかに共存していて不思議な気持ちだった。

しばらく前に彼女の息子が結婚をした。その息子というのはわたしの友人だ。つまり彼女は年下のわたしの友人の母である。その結婚式に出かけたわたしはそこで彼女を見かけている。主賓の家族となれば話しかけることもままならぬまま、でも晴れやかな笑顔をうかがうことが出来た。

それっきりとなってしまった。

初めの頃、わたしの友人の母親だから関係としてお母さんと呼んだが、それが面白くなかったのか、美しい柳眉を逆立ててその呼び方はやめなさい。名前を呼んで、と言われた。そういうところも素敵だな、と思っていた。
彼女のご主人はまるで哲学者のような男性で、その瞳をまっすぐ見ながら話を聞いているとどこか別の場所に連れて行かれそうな気分になる。深い瞳と広い心を持つ紳士だ。こういうスケール大きな男性を支えていた彼女。男だからわかるのだ。ご主人の痛みが。さぞお辛いことだろう。こちらの胸まで押しつぶされそうになる。

なぜだろうか。それほど彼女と長く親しく話をしたわけでもないのだが、涙がこぼれた。きっと動揺しているから、の涙なのだろう。が、それを彼女に捧げることは悪いことではない。そう思った。

深夜の九十九里のそばでそんな知らせのメッセージを友人からもらい、しばらくいろいろなことを考えた。夜の車の中でこの知らせを聞けて、色々なふうに心が動いた。その心の動きは大事なものだと思った。

2016年11月28日月曜日

iPhone7と便所紙。

少し前に、Apple StoreのオンラインでiPhone7を買った。
いろいろすごかったよ、今回のiPhone7購入から使用までのスタート準備。

まず荷物の到着が「フィールアース」へ出かける日の昼前。
「フィールアース」はエイ出版社がランドネ、ピークス、フィールドライフ誌の共同主催という形で開催するアウトドアイベント。
つまり、iPhoneを受け取ってそのままキャンプ場へ、という具合。なので荷物にはキャンプにはふさわしくないMacBook Airと外付けハードディスクなどが詰め込まれて。

行きがけに通り道だからと秋葉原に寄って、10分でケース買う、と意気込んで。
その前にジュース買うついでに入った秋葉原のキャンドゥでケース見つかっちゃってそれ購入。おいおい、もうiPhone7のケース、100円ショップで出てるのかよ、と驚きつつ、富士の麓のキャンプ場に到着。

テント張って日が暮れて。メシ食ってそのあと持って来てたMacBook Airにつないでテントの中でアクティベイト。現用だったiPhone5からSOFT BANK SIM入れて運用を開始。何の問題もなく稼働。しかし開封、アクティベイトから復元までをキャンプ場で全部やったのは初めてだ。(だいたいみんなそうだろう)

その後、キャンプからそのまま名古屋旅行へ出て、のち帰宅。
SIMをフリーテルの従量制にして現在様子見。12月から始まるSNS通信無料の固定のプランに移行を予定。

そうそう、先日またキャンドゥで買い物をした。保護ガラス確保。フィルムじゃなくてガラスだよガラス。驚いたなあ。200円で裏表揃ってしまってその上過不足がない。こだわりのないひとならこれでよかろう。(こだわりのない人より)

しかしあれだね。iPhoneはもう便所紙みたいなもんで普段は持ってるのさえ忘れてる。3分空けずに使ってるのに。なくなると非常にショックでその自分を補填してくれていた穴ぼこの大きさに愕然とする。そういう日常のものになったねえ。もう、並んで買うものじゃないし、見せびらかすもんじゃない。

2016年11月13日日曜日

MVNOのSIMへ。それと最近の自分のガジェット環境。

先日ソフトバンクの回線を解約した。

iPhone3Gからだからざっと8年ほど使っただろうか。感慨深い。
iPhoneがこの世に生まれて、少しして2世代目のモデルになり、それは日本にも供給されるようになった。それをすべて段取りをとって現実にしたのがソフトバンクだった。孫正義社長には大変に感謝をしている。先を見る目、他者に追随を許さぬその瞳はもう携帯電話などという小さな範囲のものは見ていない。遥か彼方を見据えてエネルギーや世界インフラの方へ気持ちを向けている。そのビジョンは素晴らしい。そして8年。iPhoneを日本に引っ張って来てくれた功績に対するリスペクトは変わらず、しかしお礼の期間は終わったとも思っており、ソフトバンク回線を解約をした。世界は進み、しかし賃金は上がらない。自分で守るものを守らねば先には進めないだろう。

予備で持っていた楽天モバイルの回線も解約した。あいかわらず古さを感じないhonor6Plusはとりあえず凍結。iPhoneがなにかあった時の非常用代替え端末として予備役だ。このでかい画面のデュアルカメラデュアルSIMSIMフリー端末はなかなかいい。が、いかんせん大きすぎるのだ。

それで、iPhone7を買った。


もちろんもうキャリアとは決別し、SIMフリー。リセールバリューも高かろう。MVNOのフリーテルにSIMを求めた。ちょっと様子見て12月にSN S無料通信サービスが始まるとのことでその時点で従量制から固定にしようと思ってる。
iPhoneSUICAを入れるのはあまり興味がない。IT業界、ガジェット業界の友人たちはきりきり舞いしながら楽しそうだ。

iPad mini2 WiFi128は現状維持とした。テザリングと、移動中に勝手にタウンWiFiがどこかのWi-Fiに繋がって通信が必要なアプリの、例えばメールやフェイスブックのアラートなどいろいろ吸い上げてくれてるんで問題はない。

Apple Watchは買わないな。手首がかゆくなっちゃうから。

MacBook Proは様子を見たが、やめた。
現在マックお宝鑑定団のメールマガジンを元にMacBook Air11incのフルスペック整備品をリサーチ、パトロール中だ。出て来たら即買う。なんにしろ買う。

カメラはどうも決め手に欠けるのでS120のまま保留。カメラ欲しい気分になってないので仕事道具でもあるし、少し反省はしている。
ビデオカメラはiVis MINIがメイン。が、あの170度の画角で撮る写真が面白くて。そっちに気が行っている。GoProはHERO3で止まったまま。まだまだ使えるが、そんなに活用しておらず。

あと解約済みSIMを返してWiMAXも解約してNURO光を引けば今年の通信環境と仕事環境の整理は終わりだ。iMacの古いのも処分するかな。いや、大画面って一台残しとくのはいいんじゃないか。

iPhone5は本当によく頑張ってくれた。いい端末だったなあ。ありがとう。ガラスははがれ、持ち上がり、動きはもっさりしてしまったが、忘れないよ。



追記。

NarrativeClip2、ハッピーハッキングキーボード、Bluetoothリモコンシャッター、スマホカメラマン付きマイク、それに使うマイクフラッグ、スノーピークのたねほおずきのコピーでUSB充電をするキャンプ用ライト、20cm x 10cmを3枚のポータブルソーラーパネル、10000mlAのソーラーセル付きモバイルバッテリー、100均で買ったiPhone7のケースと6S用の保護ガラス(!)、、、意外と買ってるな。ブログ書かないとな。あと、いま台湾旅行用にZOOMのサウンド特化型のハンディビデオレコーダーのQ2Nを待っている。

2016年10月3日月曜日

「omoidori」と「おもいでばこ」。写真のあり方の選択。

町の写真屋さんのプリント端末、つかったことはおありだろうか?
写真というものは紙になって初めて完成品、写真だと考えている。ちゃんと紙焼きが手に入るあの機械はいいものだな、とおもってる。







ただ、日々の活用、SNS等での運用にはぜったいにデータ化は必須な現代でもあり、両方あるいまの時代はけっこう幸せなんじゃないかとも考えている。そんな中。

「omoidori」、といういいプロダクトがある。
スキャナーボックス、とでもいったらいいのだろうか。


iPhoneをカメラにして、暗箱をつくってその中で影が出ないようにiPhoneで写真を撮ってiPhone側のアプリでトリミング、合成などして。そういう使い方をする便利なものだ。
自宅の紙焼きを集めたアルバムをデジタル化するためのツール。元のアルバムから写真をひっぺがす必要がなのがいい。大事なものをこわさずにそれをやれるところがいいのだ。
大変に気に入っている。


「おもいでばこ」というのがある。こちらは撮ったデジタルの写真全部、iPhone、Android、デジカメもDSも、デジタルで撮った写真は全部つめこんで、自宅のテレビでじいちゃんばあちゃんが簡単に写真を見られる。実家などににおいといて、操作を教えて(リモコンで超簡単)たまに遊びにいったときに色々な写真をまた追加で入れてあげて、などいい感じに使える。

この2つを使っていたおもしろかったことがあった。

実家に「おもいでばこ」をおいてある。
たまに父母が写真を見てるようで、実家に行ったときにわたしが撮った写真などを入れて写真を増やしてやったりする。


実家には古いアルバムがたくさんある。
父は若い頃、写真趣味があったようで古い蛇腹のカメラやミノルタやヤシカの古いやつとかがごろごろと転がっているのだ。しかし最近はどうも写真はちっともやらないようで、一度デジタルカメラを1台プレゼントしたこともあったのだが、どうも気に入らない様子。母が嬉々として使っている。

その古いアルバムたちを「omoidori」でスキャンしておもいでばこに入れてみたのだ。すると大変おもしろがっている。自分たちが撮った古い写真をまさか大きなテレビの画面で見られるとおもってなかったみ様子なのだ。それで、何度も見直している後ろ姿をみてわたしも満足していた。すると父が、

「アルバムのやつよりきれいになってるねえ。これを紙に焼けないんだろうか。」

そういわれた。
あ!これはおもしろい!とおもった。


「omoidori」でデジタルデータに → その際トリミングなどが掛かる → きれいになる → それをお店で紙焼きにする

これっていいんじゃないだろうか。
それでも未だ紙のアルバムが好きな層はいるわけで、特にお年寄りだと思うのだが、そういう人のために、そしてその家族のためにいちどアルバムを作り直すというのはどうだろう。

写真はある程度きれいになるし、予備のアルバムが出来て安心でもあるし、デジタルデータも残る。そのデータはさっさと「おもいでばこ」に放り込めばいい。それで「omoidori」というのは紙写真の再生を出来る機械でもあるのだな、気がついた。 


ほら、これ。

これを両親に手渡したらすごく喜んでくれたのだ。
こういう使い方はいいとおもうんだよ。