2016年12月31日土曜日

スーパーアマチュアの時代。

ちょっと面白い動画を見た。
BSアニメ夜話、カウボーイビバップの回だった。ずいぶん前の動画だ。

カウボーイビバップはとても好きなアニメーション作品だ。スタイリッシュで音楽もよくてリズムがあってかっこいい。大人が見ても十分な見応えがあると思う。凝った作品だなあ、と思っていた。

いろいろな話や意見が出た中で、ひどく耳に残った数十秒があった。
BSアニメ夜話ではこんな話が出ていた。

『カウボーイビバップは全てが過剰なのだ。いい意味でスーパーアマチュアの作品だ。本筋、骨太のストーリーがなく、番外編ばかりを集めたような作品だ。おもしろいが物語の流れがない。各話がストーリーでつながっていない。』

『本来プロは事故が起こりそうなことはしない。たとえばこの作品ではアイキャッチを全話で変えるなどやっているがこれは危ない。チェック項目が多くなり煩雑になり、間違いが起こりやすい。プロは本編に力を注ぎ、楽ができるところは意図を持って力を抜く。それがプロだ。』

そんな話の後に、それをたとえ話にした会話が出た。

『プロは毎日決まった時間に店を開けてきちんと同じものを出す。今日来た食材を使って適当に(決まり事なく)作ってスープがなくなったら今日は店終わり!というやり方はプロのスタイルではない。全てがまかない的だ。店というのは決まった時間に毎日開いて同じ味のものが出てくるのが本物の店なのだ』

これは文脈からラーメン店のたとえ話だとわかった。

『これは映画監督の初期作品的なものだ。今まで見てきた、敬愛した、尊敬した偉大な監督たちの作品に影響を受けた全てのもの、ことを自分の初めての作品に全部つっこむ。高熱にうなされたようなすごいものが出来上がる。が、それはつづくものではない。』

さて、カレーの話。

いや、私がこれ以上語ることもないかもしれない。賢明な皆さんは今の文章で十分だろう。そして若い店主たちはその場所で足踏みしてはいないだろう。前へと進み、気づきがあるはずだ。が、気がつかずに足踏みを続ける店主たちはやがてその店を手放さねばならなくなるのだろう。

今年はスーパーアマチュアの年だった。そんな気がする。




2016年12月15日木曜日

叔父の家。

なぜそんなことをこのタイミングで思ったのかは、よくわからない。

台風の午後、車で通りかかった千葉の少し外れの古いベッドタウン。そこがわたしの叔父が住む家のそばだと急に気がついた。
実は妻の実家がここから車で10分ほどの場所にある。妻の実家の義父と義母にはたいへんによくしてもらい、暖かく扱ってもらっている。ここら辺はいつ来ても心地よい場所だと感じていた。

叔父の家がそのそばにあることをわかっているはずだったが終ぞ思い出したことがなかった。なぜなのかはきっと深層心理なんぞをそちらの専門家に見て貰えばすぐにわかるのだろう。わかりたくもないが。

子供の頃に従兄弟と遊ぶためわりとよく遊びに来たこの場所。小学生の頃の従兄弟とわたしはとても仲が良かった。今ではよく来た、というワードだけが頭に残り、それ以外の記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
近隣まったく覚えておらず、そばに公園があったことも意外だったし、ナビゲーションを見てみるとよく加曽利貝塚まで遊びに行っていたなあ、子供にとってはずいぶん遠いんじゃないか、という距離のことも思ったりもした。
そしてこの記憶がすべて。そんなこと以外、なにも思うところがないことにも気が付いた。

叔父は叔母に先立たれ、一人でここに住んでいるはずだ。
叔父は長男なのだが家業を継がなかった。私の父が次男として家業を継いだ。それはいい。年老いた彼の両親、私の祖父と祖母の面倒を見なかったのはなぜなのだろうと今でも考えることがある。
忌み嫌われていた、とは言いたくないがそんな叔父はやはり兄弟の中でだんだんと説得力と存在感がなくなっていった。子供のわたしも敏感にそれを感じていた。
果たしてわたしのiPhoneには年賀状だけに使う、いや、それさえ途絶えて使うあてのない住所録の叔父の名前の後ろにポツリと住所が載っていた。そのまま地図に切り替えて車での道案内をさせると気がついた場所からわずか4分でたどり着くらしい。なんとも言えない感慨を感じた。

辿り着いた叔父の家はぱっと見小綺麗な白い四角い家で、いかにも公務員が好みそうな決まった規格で正確に作られた家、という匂いがした。  よく見ていくと手入れが残念ながら行き届かない庭と二階の窓の中に見える半分落ちて傾いたシェードと雑多な置物が見える。妻を失った老人、そんな言葉が頭に浮かんだ。
昔きた時の記憶は繰り返すが、ない。まったくないのだ。それもあってかまったくリアリティがないのだ、この中に年老いた彼が住み、近所の寂れた店で惣菜を買い、逆に新しすぎて白々しいスーパーで弁当や靴下を買い、というイメージが浮かばない。
オチも何もない。ただモヤモヤとした思いが胸の中に残った。叔父に会うつもりはもちろんなかった。そそくさとその場を立ち去りクルマに戻った。ほっとした。

2016年12月11日日曜日

ライターという看板を下ろそうかと思っている話。

なぜ山中湖をフロントガラスの正面に据えてクルマのシートに座りiPad miniで文章を打っているのだろう。なぜ1年半で新車のオドメーターが4万を指すのだろう。なぜ1日でカレー店に3店も行って、しかもそのうちの1店ではカレーを食べずにおしゃべりだけして出て来たのだろう。それもこれもたぶん必要だからだろう。そしてそれがなぜか生業(なりわい)になっていく。いや、微々たるものだ。世界はそれほど優しくない。しかし、その微々たるものを得ると、そういうものなのか、と思った優しい人々がまた同じような仕事の依頼を投げかけてくれて、微増する。不思議なものだ。

カレーの記事連載が月刊誌でもう5年ほど続いている。
今日は材木座の香菜軒 寓の店主に嬉しい言葉をいただいた。あなただから取材をして欲しいという店が、人がいるのだろう、だから連載が続いているのではないか、という言葉。それを大事に頭の奥の方に刻み込んだ。なるべくそれに沿って、なるべく心をそれに沿わせて。もともと飲食の現場に僅かだが10年ほど身を置いて、見て、聞いて、学んだことを忘れないようにしながら、店主の目線に寄り添って取材をして来たつもりだ。それが相手に伝わっているのかもしれない。だとしたらとてもうれしい。

最近わかったのはわたしはどうもライターではないのだろう、ということだ。
ライターが誌面で店主とニコニコ笑う写真を載せるのは少しおかしい。ライターが何度もテレビやラジオに出るのはおかしい。そうなのだろう。
ライターの仕事は媒体からお題をもらって、それに沿った取材をし、そいつをその媒体の流儀に沿って数多くの読者の咀嚼しやすい形に文章にして投げ返してあげることだ。媒体の性質を見越して取材を企画して作り上げることもあるだろう。それがプロフェッショナルライターだと思う。
わたしの名刺にはカレーライターと書いてある。キャッチーでおもしろい。そう思って使っている。しかし仲が良いと思っていた知人から厳しい言葉をもらった。それで、このかんばんをおろしてみようかと思っている。通用しない人が一人でもいたらそいつはダメなものだ、という教えを昔世話になった社長から教わって、今回は自分で咀嚼をしてもやっぱりそれは変わらなかった。
さて、どうするか。肩書きか。まだ肩書きがいらないほど素晴らしい人間にはなってはいないと思う。さて、どうするか。随筆家を名乗ろうと思ったが思いとどまっているところだ。



2016年11月30日水曜日

知りあいの女性の死。

ひどく心を乱されることがいくつか続いた。
そんな中で特に心を乱されたのが、顔を知っている女性が死んだことだった。
病気だったそうだ。闘病のことをわたしは知らなかった。

二本の足でしっかりと、しかしスーッと立っていて、強さと美しさを併せ持っていて、キリッとしていて。こちらの心を見透かされそうで。
わたしのような男は彼女の前に立つといつでもきまりが悪くて目を合わせられなかった。 尻尾が両の足の間に入ってしまうような居心地の悪さと憧れがいつでも腹のなかに共存していて不思議な気持ちだった。

しばらく前に彼女の息子が結婚をした。その息子というのはわたしの友人だ。つまり彼女は年下のわたしの友人の母である。その結婚式に出かけたわたしはそこで彼女を見かけている。主賓の家族となれば話しかけることもままならぬまま、でも晴れやかな笑顔をうかがうことが出来た。

それっきりとなってしまった。

初めの頃、わたしの友人の母親だから関係としてお母さんと呼んだが、それが面白くなかったのか、美しい柳眉を逆立ててその呼び方はやめなさい。名前を呼んで、と言われた。そういうところも素敵だな、と思っていた。
彼女のご主人はまるで哲学者のような男性で、その瞳をまっすぐ見ながら話を聞いているとどこか別の場所に連れて行かれそうな気分になる。深い瞳と広い心を持つ紳士だ。こういうスケール大きな男性を支えていた彼女。男だからわかるのだ。ご主人の痛みが。さぞお辛いことだろう。こちらの胸まで押しつぶされそうになる。

なぜだろうか。それほど彼女と長く親しく話をしたわけでもないのだが、涙がこぼれた。きっと動揺しているから、の涙なのだろう。が、それを彼女に捧げることは悪いことではない。そう思った。

深夜の九十九里のそばでそんな知らせのメッセージを友人からもらい、しばらくいろいろなことを考えた。夜の車の中でこの知らせを聞けて、色々なふうに心が動いた。その心の動きは大事なものだと思った。

2016年11月28日月曜日

iPhone7と便所紙。

少し前に、Apple StoreのオンラインでiPhone7を買った。
いろいろすごかったよ、今回のiPhone7購入から使用までのスタート準備。

まず荷物の到着が「フィールアース」へ出かける日の昼前。
「フィールアース」はエイ出版社がランドネ、ピークス、フィールドライフ誌の共同主催という形で開催するアウトドアイベント。
つまり、iPhoneを受け取ってそのままキャンプ場へ、という具合。なので荷物にはキャンプにはふさわしくないMacBook Airと外付けハードディスクなどが詰め込まれて。

行きがけに通り道だからと秋葉原に寄って、10分でケース買う、と意気込んで。
その前にジュース買うついでに入った秋葉原のキャンドゥでケース見つかっちゃってそれ購入。おいおい、もうiPhone7のケース、100円ショップで出てるのかよ、と驚きつつ、富士の麓のキャンプ場に到着。

テント張って日が暮れて。メシ食ってそのあと持って来てたMacBook Airにつないでテントの中でアクティベイト。現用だったiPhone5からSOFT BANK SIM入れて運用を開始。何の問題もなく稼働。しかし開封、アクティベイトから復元までをキャンプ場で全部やったのは初めてだ。(だいたいみんなそうだろう)

その後、キャンプからそのまま名古屋旅行へ出て、のち帰宅。
SIMをフリーテルの従量制にして現在様子見。12月から始まるSNS通信無料の固定のプランに移行を予定。

そうそう、先日またキャンドゥで買い物をした。保護ガラス確保。フィルムじゃなくてガラスだよガラス。驚いたなあ。200円で裏表揃ってしまってその上過不足がない。こだわりのないひとならこれでよかろう。(こだわりのない人より)

しかしあれだね。iPhoneはもう便所紙みたいなもんで普段は持ってるのさえ忘れてる。3分空けずに使ってるのに。なくなると非常にショックでその自分を補填してくれていた穴ぼこの大きさに愕然とする。そういう日常のものになったねえ。もう、並んで買うものじゃないし、見せびらかすもんじゃない。

2016年11月13日日曜日

MVNOのSIMへ。それと最近の自分のガジェット環境。

先日ソフトバンクの回線を解約した。

iPhone3Gからだからざっと8年ほど使っただろうか。感慨深い。
iPhoneがこの世に生まれて、少しして2世代目のモデルになり、それは日本にも供給されるようになった。それをすべて段取りをとって現実にしたのがソフトバンクだった。孫正義社長には大変に感謝をしている。先を見る目、他者に追随を許さぬその瞳はもう携帯電話などという小さな範囲のものは見ていない。遥か彼方を見据えてエネルギーや世界インフラの方へ気持ちを向けている。そのビジョンは素晴らしい。そして8年。iPhoneを日本に引っ張って来てくれた功績に対するリスペクトは変わらず、しかしお礼の期間は終わったとも思っており、ソフトバンク回線を解約をした。世界は進み、しかし賃金は上がらない。自分で守るものを守らねば先には進めないだろう。

予備で持っていた楽天モバイルの回線も解約した。あいかわらず古さを感じないhonor6Plusはとりあえず凍結。iPhoneがなにかあった時の非常用代替え端末として予備役だ。このでかい画面のデュアルカメラデュアルSIMSIMフリー端末はなかなかいい。が、いかんせん大きすぎるのだ。

それで、iPhone7を買った。


もちろんもうキャリアとは決別し、SIMフリー。リセールバリューも高かろう。MVNOのフリーテルにSIMを求めた。ちょっと様子見て12月にSN S無料通信サービスが始まるとのことでその時点で従量制から固定にしようと思ってる。
iPhoneSUICAを入れるのはあまり興味がない。IT業界、ガジェット業界の友人たちはきりきり舞いしながら楽しそうだ。

iPad mini2 WiFi128は現状維持とした。テザリングと、移動中に勝手にタウンWiFiがどこかのWi-Fiに繋がって通信が必要なアプリの、例えばメールやフェイスブックのアラートなどいろいろ吸い上げてくれてるんで問題はない。

Apple Watchは買わないな。手首がかゆくなっちゃうから。

MacBook Proは様子を見たが、やめた。
現在マックお宝鑑定団のメールマガジンを元にMacBook Air11incのフルスペック整備品をリサーチ、パトロール中だ。出て来たら即買う。なんにしろ買う。

カメラはどうも決め手に欠けるのでS120のまま保留。カメラ欲しい気分になってないので仕事道具でもあるし、少し反省はしている。
ビデオカメラはiVis MINIがメイン。が、あの170度の画角で撮る写真が面白くて。そっちに気が行っている。GoProはHERO3で止まったまま。まだまだ使えるが、そんなに活用しておらず。

あと解約済みSIMを返してWiMAXも解約してNURO光を引けば今年の通信環境と仕事環境の整理は終わりだ。iMacの古いのも処分するかな。いや、大画面って一台残しとくのはいいんじゃないか。

iPhone5は本当によく頑張ってくれた。いい端末だったなあ。ありがとう。ガラスははがれ、持ち上がり、動きはもっさりしてしまったが、忘れないよ。



追記。

NarrativeClip2、ハッピーハッキングキーボード、Bluetoothリモコンシャッター、スマホカメラマン付きマイク、それに使うマイクフラッグ、スノーピークのたねほおずきのコピーでUSB充電をするキャンプ用ライト、20cm x 10cmを3枚のポータブルソーラーパネル、10000mlAのソーラーセル付きモバイルバッテリー、100均で買ったiPhone7のケースと6S用の保護ガラス(!)、、、意外と買ってるな。ブログ書かないとな。あと、いま台湾旅行用にZOOMのサウンド特化型のハンディビデオレコーダーのQ2Nを待っている。

2016年10月3日月曜日

「omoidori」と「おもいでばこ」。写真のあり方の選択。

町の写真屋さんのプリント端末、つかったことはおありだろうか?
写真というものは紙になって初めて完成品、写真だと考えている。ちゃんと紙焼きが手に入るあの機械はいいものだな、とおもってる。







ただ、日々の活用、SNS等での運用にはぜったいにデータ化は必須な現代でもあり、両方あるいまの時代はけっこう幸せなんじゃないかとも考えている。そんな中。

「omoidori」、といういいプロダクトがある。
スキャナーボックス、とでもいったらいいのだろうか。


iPhoneをカメラにして、暗箱をつくってその中で影が出ないようにiPhoneで写真を撮ってiPhone側のアプリでトリミング、合成などして。そういう使い方をする便利なものだ。
自宅の紙焼きを集めたアルバムをデジタル化するためのツール。元のアルバムから写真をひっぺがす必要がなのがいい。大事なものをこわさずにそれをやれるところがいいのだ。
大変に気に入っている。


「おもいでばこ」というのがある。こちらは撮ったデジタルの写真全部、iPhone、Android、デジカメもDSも、デジタルで撮った写真は全部つめこんで、自宅のテレビでじいちゃんばあちゃんが簡単に写真を見られる。実家などににおいといて、操作を教えて(リモコンで超簡単)たまに遊びにいったときに色々な写真をまた追加で入れてあげて、などいい感じに使える。

この2つを使っていたおもしろかったことがあった。

実家に「おもいでばこ」をおいてある。
たまに父母が写真を見てるようで、実家に行ったときにわたしが撮った写真などを入れて写真を増やしてやったりする。


実家には古いアルバムがたくさんある。
父は若い頃、写真趣味があったようで古い蛇腹のカメラやミノルタやヤシカの古いやつとかがごろごろと転がっているのだ。しかし最近はどうも写真はちっともやらないようで、一度デジタルカメラを1台プレゼントしたこともあったのだが、どうも気に入らない様子。母が嬉々として使っている。

その古いアルバムたちを「omoidori」でスキャンしておもいでばこに入れてみたのだ。すると大変おもしろがっている。自分たちが撮った古い写真をまさか大きなテレビの画面で見られるとおもってなかったみ様子なのだ。それで、何度も見直している後ろ姿をみてわたしも満足していた。すると父が、

「アルバムのやつよりきれいになってるねえ。これを紙に焼けないんだろうか。」

そういわれた。
あ!これはおもしろい!とおもった。


「omoidori」でデジタルデータに → その際トリミングなどが掛かる → きれいになる → それをお店で紙焼きにする

これっていいんじゃないだろうか。
それでも未だ紙のアルバムが好きな層はいるわけで、特にお年寄りだと思うのだが、そういう人のために、そしてその家族のためにいちどアルバムを作り直すというのはどうだろう。

写真はある程度きれいになるし、予備のアルバムが出来て安心でもあるし、デジタルデータも残る。そのデータはさっさと「おもいでばこ」に放り込めばいい。それで「omoidori」というのは紙写真の再生を出来る機械でもあるのだな、気がついた。 


ほら、これ。

これを両親に手渡したらすごく喜んでくれたのだ。
こういう使い方はいいとおもうんだよ。


2016年8月15日月曜日

ガジェットについておもうところ。

ガジェットの勢いがない、と感じる。
おもしろいもの、ジャンルが少なくなった気がする。

おもしろいものもないわけではないが、GoProスゲー!、とかVR万歳!とかは全然思わない。正直むしろVRなんてわたしは興味がない。
ただ、その使用シーンやそこで得られるエモーショナルなものが素晴らしいのだ。それが本質だと思う。
最近はガジェットにとんと反応を示さぬ自分のアンテナだが、ガジェットが好きなんじゃなくてそれを使って世界が変わるのが好きなんだ、と気づいた。だから、いい経験だったけど自分がやってたガジェットに対する向き合い方を振り返り、違和感を感じている部分は少なからずある。
いや、うん、意外と変わってないか。仕事にせよそうじゃないにせよ突き詰めるとカメラが好きなんじゃなくて撮れる写真が問題なんだし、道具だから自分が望むシーンで思う通りに答えてくれる機械がいい。「このデバイスがあるから手に入った体験。それも自分が望むもの」に心動くのは変わってないみたいだ。だからレビューっていうのは人のものはちょっと意味がないと思う部分もある。その本人じゃないと使用シーンは限定出来ないしそれと同じレビューってのはなかなかむずかしかろう。受け手もそのレビューを読み解いたり想像したりする力がなくちゃいけないし。だからレビューにしろ、その機械そのものにしろ表層のマスが否定的でもそれはどうでもいい。自分にフィットするかどうか、それを自分で見極めることだ。これはね、ガジェットガジェットってさんざ書いたけど、カレーにも、自分の日々にもすべて共通することなんだよね。


<追記>

25年ほど前に10年間、雑貨業界におりまして。それでね、ずっと色々自分の好きな物をみてきて思うこと。これはごく私的な感じ方なんだけど、雑貨というものが一度死にました。そしてその魂はガジェットというジャンルに宿りました。ところがそのガジェットが瀕死。気がつくとその魂はアウトドアというジャンルにあったなあ。そういう気分が僕の「いま」の気分です。詳しくはチャンスがあればお酒の席で。



2016年8月12日金曜日

雑貨の終焉とガジェットの道半ばと見えない未来と。

雑貨の終焉はもうずいぶん前から始まった気がしている。依然このブログにこんなエントリーを書いた事がある。

「追悼、ビレッジヴァンガード」

それと、文化屋雑貨店がなくなってしまうという衝撃的な知らせが届いてすぐ書いたエントリー。こちらにはむげん堂やガラクタ貿易の事にも少しふれた。

「文化屋雑貨店。僕らは雑貨と一緒に育ってきたんだっけな。」

僕たちはピンクドラゴンの山崎さんを失い、クリスマスカンパニーやビレッジヴァンガードから魂が抜けていく様を目にし、文化屋雑貨店を失い、F.O.B.CORPをも今回、失った。
かろうじてお茶の水ではなくなってしまったガラクタ貿易、それにアジア雑貨の元祖仲やむげん堂の各店に心を支えてもらっている。

ギフトショーにもう何十年も通っている。10年ほど感じているのは「海外渡航直接仕入れはもはやナンセンス」ということ。
バイヤーが海外に飛び、汗をかき、靴をすり減らして見つけてきた雑貨たち。そういう宝物のようなものと出会う場所だった雑貨店。しかし今や店頭に並ぶ雑貨たちはどれもみな「どこかで見たもの」ばかりになった。ギフトショーに行けばわかる。それらはすべてギフトショーに出展されている。トレードショーなわけだからそこで商談がなされ、数ヶ月後には国内の各地の店舗にその商品が陳列される。渡航開拓の予算もなく時間もかけられない時代、その流れは止められなかった。そこまではまだよかった。
15年ほど、わずか15年ほどのインターネットの普及とECサイトの乱立で雑貨バイヤーではなく、コンシューマーがバイヤーと同じスピードで「あ、これみたことある」の状態にモニターの前でなってしまう。これでは本当にどうにもならない。もはや世界には宝物はないのだ。

今あるものはもう古い。そうやってすこしづつ雑貨の価値が弱まってきたところに「ガジェット」なるものが現れる。カメラや電子機器、ちょっとした小間物を世の中でガジェットの名前で呼びはじめたのはいつの頃だろうか。なんとなく浸透してきている言葉。なんとなく、なのだが雑貨からがジェットへのシフトが始まり、盛り上がり、そして今。そのガジェットという新しい価値がまた色褪せつつある気がするのだ。

いま、キーワードが「アウトドア」というものに集約されてきた感がある。
雑貨、ガジェット。どちらも必須ではないが生活に潤いやおもしろさを与えてくれるもので、しかしともするとそのもの自体を手に入れて終了、的な流れもあった気がしている。それはやはり少し違っている気がしていて、その雑貨なりガジェットなりを使って生活がライフスタイルが変わるとおもしろい、という結果が大事という考え方。アウトドアギアなんていうものはそう非ねば存在価値がないし、それを目指して作り込まれているはずだ。

そういう流れを感じている。

2016年8月11日木曜日

仙台のカレー店で聞いたインスタグラムのこと。

先回の続き、と言えば続きになるだろうか。

仙台に行って、友人のカレー店を営む男の話しを聞いた。大変におもしろかった。なんといっていいのか、価値観の違いや現代とはどういう時代なのか、というような話しなのだが。

彼の店にとあるお客がやってきて、店内や料理の写真をそわそわしながら撮っている。どうも普通の客と感じが違う。友人の店は大変に変わった店で、こんなのは国内で唯一なのではないかと思っているのだが、その日のメインディッシュであるカレー、この日は6種ほど用意されたのだがそれを小さな小分け皿に美しく小さくすべての種類をとりわけて客の前に持ってくる。それを味見させて気に入った味を注文すると言う、親切すぎるというか、七面倒くさいというか、とにかくすごい店なのだ。
そういうことを親切心と強い思いでやってのける店で、自ず店主の人間力は高いものとなる。なのでちょっとでも挙動不審の客がいるとさっそくそいつを取っ捕まえて説教に入る。まったくおもしろい店だ。

件のきょろきょろそわそわの客をつかまえて例のごとくそのお客に料理の話しや説明をした。しかしちっとも要領を得なかったそうだ。つまり、料理に対する基本的な知識が不足しているようだった。それは悪いことではない。そこから興味を持って知識をつけていけばよいだけの話しだ。友人の話しはきっとそのきっかけになるだろう。
そんな説明を受けて客は素直に食べはじめ、店主もそれを満足してみていたようだが、帰り際。
件の客が「東京から来ました。インスタグラムやってます」といって自分のインスタグラムのアイコンであろデザインのステッカを何枚も手渡してきたそうだ。これには店主も辟易したようだ。聞けばカレーの食べ歩きをしているようで、何百店も食べ歩き、フォロワーも多数。東京からこうやって遠征に来たりするそうだ。しかし。それにしては料理の知識が浅いのではないか、店主はそう思った。色々聞くのだがやはりなんとしても要領を得ない。噛み合ないのだ。そんな彼が唐突に「インスタグラムやってます」などという。その価値観はいい悪いではなくて一般的ではないのを彼はわかっているだろうか、心配になる。そしてその言葉は「この店の評判は影響力大きい僕が作るんだよ、わかるかい?」「なので有名なこのステッカーをあなたの店にも貼りなさいい」そういう言葉と同等だと、わたしも思う。たとえ彼が層は思っていなかったとしても、そうとられるのは仕方のないことだ。


そんな話しを友人から聞いてピンと来たのだ。これはあくまでわたしの想像なのだが、彼は写真が一番大事なのではないだろうか。わたしもわかる部分がある。食べ歩きをはじめた初期の頃、写真がうまく撮れなかったり撮影が禁じられている店でがっかりしたり、ということがあった。とにかく軒数をこなすのが好きで、価値だと思っていた。しかし、料理のうまさはそれとはまったく関係なく、いつでもそこにあった。
彼はどう思っているだろう。食事を心から楽しんでいるだろうか。写真が撮れなかった店は意味がないなど思っていないだろうか。そしてそのフォロワーたるインスタグラムを検索エンジンとして使う若いおんなのこたち。どこかリンクするものを感じる。

懸念していることがある。彼ら、彼女らは写真を中心にものを考える。それはいい。が、しかし。そこに探究心はない。その写真に写っている食べ物に、実はたいして興味はないのだ。単純に「きれい」「おいしそう」それだけを抽出している。そしてそれに答えるべく、裏打ちのない感想文といえるようなものをそえて、一番大事なのはきれいな写真、という考え方で店をまわる食べ物系インスタグラマーと呼ばれる人々。そういう関係性でつながってしまった感を覚えている。これに反発を覚えるあなたに意見はない。だってすでにこの文章に反発して、そうではない、食に興味があるのだ、と思っているのだから。なにも言うことはない、むしろ心強い。

かくいうわたし、最近では味などいう曖昧な基準は意識してさけて書いてみたりするが、逆にそこで出会った感激や気持ちをなるべく言葉に詰め込むようにしている。そちら側からのアプローチでなにか食べ物に関する興味を喚起出来ないか、そんなことを考えて文章を書く。が、そんな御託は彼女らは一瞥もしないわけである。

これはいい悪いで仕分けるものではもちろんない。だがしかし、それだけ。きれいでおいしそうだけで大丈夫なのだろうか。お店をめぐるのは新しい写真をインスタグラムに供給し続けるためだけでいいのだろうか。どう受け止めていいのか、わたしにはわからない。

インスタグラムの恐怖。

2010年秋にリリースとなったインスタグラムという写真共有サービスがある。サンフランシスコのソフトウェア会社が作ったもので、もともとはアプリ内で完結させるシステムだったがWebからの閲覧等の要望も強く、ブラウザ閲覧やいいねを押せる仕様に落ち着いた。


インスタグラムはスタートの頃から使っていたが、当時は純粋に写真を楽しみ、共有するユーザーがほとんどを占めていた。それなりに考えて撮った写真をアップロード、初期の頃のユーザーグループなどはデジタルカメラ、iPhone以外で撮った写真は御法度、外部アプリで加工などもNGなどの厳しいローカルルールを持つもところもあった。それはそれでとてもおもしろい時代だった。iPhoneの中だけで完結させることに価値観を見いだしたりするユーザーは多かった印象がある。とにかくみんな写真に真面目だった。(当時はAndroid用のアプリはなく、Androidユーザーがアプリのリリースを首を長くして待ちわびていたのを覚えている。その後、実に2年間のタイムラグを経てAndroid版がリリースとなった)外国人のユーザーにいいねを押してもらってとてもうれしかったのもインスタグラムだ。写真を使う、言葉がいらない写真SNSならではのコミュニケーション。素晴らしい、写真で言葉の壁を越えられるのか。そう思った。


わたしは一度インスタグラムを一度止めている。


前出のiPhone写真のユーザーグループに属したり、インスタグラムの中での、iPhoneグラファーと呼ばれる人々の中でフィルムカメラ時代以来忘れかけていた写真のおもしろさを再認識したり、一生懸命写真を撮ったりして楽しんでいた。雑誌やムックにも自分の写真作品が数多く載って、たいへんに得難い体験をした。今でも大切な思い出だ。そんななかで、ユーザーグループ間で争いごとをする輩がでた。まったくくだらない話しで、反吐が出た。どちらも自分たちが上、自分たちがオフィシャルだといいはり、それをみていてインスタグラムが大嫌いになった。インスタグラムへの写真投稿をきっぱりとやめた。気分が悪かった。

時は経ち、眺めてみればもうインスタグラムに写真を極めるSNSとしての役割は終わったのを悟った。主な使われ方は日常を撮ること。それが大多数のマスを占めている。それで、もう作品性などは考えず、ただカレーの写真だけをアップロードする便利でマスが大きいプラットフォームとして再度使いはじめた。ユーザー数が多いから。拡散力があるから。ただそれだけ。たったそれだけ。あとはまったくなにも期待していない。そこに「芸術」は必要ないのだ。

そんな折、インスタグラムが流行なのだ、という話しを若いおんなのこから聞くようになった。彼女らのインスタグラムの捉え方は古いわたし世代のユーザーとは意を異なったものであった。ソーシャルネットワークそのものなのだ。それも、言葉を持たないソーシャルネットワーク。そして、検索エンジン。彼女らにとってインスタグラムはSNS、コミュニケーションツールでもあり、Googleの代わりでもあるのだ。それも言葉、文字をほとんどを使わない、不思議なSNSであり検索ツールなのだ。

彼女達の使い方はこうだ。ランチタイム、彼女は渋谷にいる。渋谷でおいしいイタリアンのランチを食べたかった彼女はインスタグラムを立ち上げる。そのアプリの中でハッシュタグ検索をするのだ。「#渋谷ランチ」と打ち込む。すると「#渋谷ランチおすすめ」「#渋谷ランチどこ」「#渋谷ランチ人気」「#渋谷ランチ安い」などの候補がどんどん出てくる。その中の好きなワードをクリックするとインスタグラムにアップされた膨大な量のランチの写真がでてくるのだ。彼女らはその中からおいしそうな写真を選ぶ。そこには店名のハッシュタグがあったりおいしい〜などの言葉がハッシュタグとして残されている。ここでやっとGoogle検索、食べログ等の出番だ。だがそれは住所を知るためだけのもの。食べログの評価だなど御託が述べられているそんなものは一瞥さえされない。そしてその住所検索さえブラウザを介さず、GoogleMapなどに直接店名が打ち込まれ、その地図に従って店に向かうのが彼女らの流儀なのだそうだ。彼女らはいう。「Google検索なんか使うと文字列ばかりで無駄。さっさと食べ物の写真が見られればいい。」効率も良く、真っ当な意見かもしれない。

そんな若い世代のこたちと渡り合わなければならないのだ。フードジャーナリスト、など名乗ってしまったからには。いや、そういうこたちにはわたしはすでに相手にされていないだろう。そうではない世代と仲良くやっていくしか方法がないのかもしれない。由々しきことだと思っている。