2015年9月24日木曜日

訃報。

21時過ぎ。横浜都築のインドレストラン、ラニで店主へのインタビューの仕事をしているときに数年ぶりの古い友人からの電話が鳴った。訝しく思いながら電話に出るとそれは訃報だった。変な時間に珍しいやつからの数年ぶりの電話。嫌な予感がしたが、それが当たった。友人が死んだ。癌らしい。

膵臓だったか、腎臓だったか。
長かったが最近では数年に一回という感じになっていたそいつらとの付き合い。それで連絡方法が途絶えた奴らもいて、わたしのところに連絡が来た。幸いFacebookでつながっているやつがいる。メッセージをしてほしいと電話の男は受話器を置いた。
インタビューに戻り、それを終え、メインインタビュアーをわたしのクルマで家まで送って。
そのあとにやっとメッセンジャーで告別式の案内のPDFを送った。程なく返信があって、ほかの友人からも連絡が入ったことが分かった。電話の男も、メッセンジャーの相手もわたしも、冷静で静かなトーンで事務連絡だけを終えた。

ほんの少しのバタバタを終え、はじめに思ったことは「しまった、やつにはまだ用がある」、という思いだった。

いつだったか。iPhoneの3GSを持ってインドに行ったことがあった。当時早々にiPhoneで撮る写真のコミュニティやユーザーグループなどが立ち上がってきた頃だ。Instagramもまだなかった頃だった。インドではiPhone3GSを使って動画や写真をたくさん撮った。帰国してしばらくしてから動画はApple Store銀座のシアターで行われたイベントで上映、写真は新宿のハッティというインドレストランの壁を使って行われた写真展(二人展)で展示され、多くの方にご来場、鑑賞いただいた。大変に光栄だった。亡くなった友人は今晩訃報を電話で知らせてきた男とふたりでこの写真展にやってきた。一通り見て散々酷評をして帰っていった。これがなぜこの並びなのかわからない、この写真だけがほかの写真の中で関連性がない、わからない、わからないと様々な文句をつけて帰っていった。大変気分が悪かった。
後で思い出したのだが彼は写真をやっていたはずだ。当時のiPhoneで撮る写真と写真作品、コミュニティやその空気、彼はもしかするとその時そういうものを知らなかった可能性がある。いや、そんなものを知っている人は東京と大阪にひとつまみづつだった時代だ。そしてそれを知る必要も理解する責任も彼にはなかった。

そういう経緯で彼とは疎遠になった。
そうではなくても当時の仲間たちとたまに行っていたキャンプもあまり行われなくなっていたし、彼とだけでなく、中学高校時代によく遊んだ仲間は随分疎遠になっていた。
一度わたしが自動車事故にあったときに心配してメールをくれたが、返信をしなかった。ただそれだけだ。ただ、そのメールが実質彼とのやり取りの最後になった。後悔は先には立たぬ。そういうことだ。

彼がどう思っていたかはわからない。わたしが彼に対して腹を立てていたことを、もしかするとからは知らぬままだったかもしれない。今となってはなぜ彼があの写真を否定的に捉えたかもわからない。「やつにはまだ用がある。」ということだ。それは果たされなくなった。

くちをきくこと。しゃべること。顔を見ること。これはすぐさまやるべきことだ。インターネットなんてものを介していては遅きに失する。その事例がこれだ。このザマだ。彼の部屋の下に車を止めて、こんなことをいくら書いても彼は起き上がって降りてはきやしない。

だから、気が済んだから部屋に帰ろう。
未だ、彼が死んだなどまったくリアリティがない。信じられない。
あいつにはまだ用がある。

2015年9月23日水曜日

東京の夜の誰もいない場所。

よくしたことにこの東京でも「誰もいない場所」というのはあるものだ。
わたしはいつの頃からか、誰もいない場所というものを嗅ぎ分ける能力を身に付けてしまっている。

クルマに乗って走るとき、という話だがわたしはどうにも人のいない場所へ、人のいない場所へとハンドルを向けてしまう傾向がある。夜の闇、本物の暗闇などというものは東京に於いてはほぼ、存在しない。しかしながら上手に時間を選んで東京の外れあたりをを選んで走ってみると、なにやらぽつりぽつりと人がいない静かな場所がある。そういう場所をクルマで楽しむ。
こういうのはもしかするとあまり褒められた趣味ではないのかもしれない。
何故夜走るのか、なぜ人がいない場所を選ぶのか。それはそういう場所が私の好奇心や想像力をどうにもかきたてるからだ。その気分には抗えない。



いつもそそくさと身支度を整え車のキーを机の上から取り上げる。
月明かりの夜がある。どんよりした雨の日もある。強い雷雨、雪の降る日、そんな天候がすぐれない日、そういう時の方が気持ちが大きく動く。心の振れ幅や感じ方の受容素子がざわざわと音を立てて波立つのだ。そんな夜は必ずクルマのキーをうろうろと弄んでしまう。いや、迷う事は少ない気がする。思った時はすでに足がガレージに向かっている。そうやって車のドアを開いて、またエンジンに火を入れてしまう。

なにをする訳ではないのだ。
ただただ、クルマを走らせる。たまに気が向いて写真を撮ってみたりする。ビデオをまわすことは稀だ。いい所写真、それよりも自分のざわつく心を楽しんで夜を走る。そのざわつく心に任せたままハンドルを切り、アクセルを踏み、ひとりごとをつぶやいたり昔のことに胸を痛めたりする。

なによりも心が自由になる時間というのがわたしにとっての「誰もいない場所」と「夜の闇」らしい。そこに身を浸す為に、自分のクルマはいつでも切らさずに飼っている。

2015年9月7日月曜日

お腹がすいたまま書きなぐる最近思っていること。

すごくお腹をすかせた2015年9月4日、12時49分。一食の価値、なんて事を考えている。ごく私的な一食の価値について、だ。
わたしは食べることが仕事になっている。正確には「食べて、その食そのものとその周辺について感じ、そしてそれを書く」というものだと思っている。それはつまり食事が仕事であるということだ。今年の夏で51歳になったわたしは日々考える。
"お腹がすいた、なにか食べよう。
そういえばなにかSNSを動かしてやらねばな。
じゃあカレーを食べようか。
本当はいい季節なので旨い秋刀魚でも焼きたいなあ。
でもそれほど長くはない自分の残り時間でカレーじゃないものを食べていて大丈夫なのか。”

そういう、角度を少し変えると精神を病んでいるような考え方にとらわれることがある。

ちょっと話しは飛ぶが、30年ほど前の恋人の話しだ。
長距離恋愛だった。彼女は静岡県の焼津市に住んでいた。雑貨の貿易の関係で知り合った女性だ。とんがっていてファッションやカルチャーに敏感で、いつでも先を、尖ったものを見続けているような人だった。そういう彼女がかっこよくてとても好きだった。

ある日彼女はわたしにこういった。

「あなたは東京に住んでいる。朝になれば美術展がが開門する。19時の時報と共に東京中の劇場が幕を開ける。東京に住んでいるあなたはなぜそこに駆けつけないの?」

彼女の気持ちがとてもよくわかった。胸が痛んだ。返事は返せないままだった。
東京に住んでいるわたしは「選ばれた人間」なのだ。大きな苦労をせずにいろいろなものを生まれた時から掴んでいる、幸運な一握りの人間。そう見えていたのだろう。東京に生まれて住むというのはそういうことだったようだ。たった30年前の話しだ。
そのあとしばらくして彼女は東京を通り越してアメリカ、ニューヨークに飛んだ。帰ってきた噂は聞いていない。

飢餓感や、環境があるのに動かないものへの怒り、理解しがたい気持ち。そうなのだ。彼女は得ようとしても得られないまま憤怒と憧れの気持ちを抑えずに、わたしを通り越してもっと刺激的で得られるものがあると確信した場所へ向かったのだ。説得する力、止める力を持たない当時のわたしはただただ、呆然と見送るだけだった。

なぜそんな話しをしたのか。
飢餓感と焦り、か。

こと食に関して、それはフィジカルなものにも繋がり、素直であり続ければいいと自分でうそぶいている。が、しかし実際はこの有様だ。生き物には時間が決まっているという代え難い事実があり、その中で特に人間はこんなことでくよくよ悩んだり考え込んだり座り込んでしまったりを繰り返す。

素直でいいのだ。近所の定食屋に行って冷やし中華でもしょうが焼き定食でも食べればいいだけなのだ。しかしいつでも「カレーじゃなくていいのか」はつきまとう。そんな毎日だ。

2015年8月19日水曜日

走行距離、8000キロ。納車より4ヶ月。

ハスラーXターボ4WD。新車で買って4ヶ月が経った。

6000キロををすぎてからだろうか、足回りがよく動くようになってきていると感じる。よく伸びてよく縮んで踏ん張ってる、と感じるのだ。
けっこうな頻度で日々乗っており、おかげさまで8000キロ。東京の都市部、臨海部に住みながらこのオドメーターの進みはずいぶん早いといえるだろう。


自宅の駐車場へのアプローチの手前にかなり波打った道が50メートルほどあってそこが日々通らねばならぬ場所となり、体感基準になっているのだが、フリクションが減ってぴょこぴょこしなくなってきているようだ。初めの頃はこんなにからだを揺すられるのかと驚き、少々後悔などもした。

CCVとしての資質も持ち、味付けも昨今の乗用車的なSUVよりCCV寄りにしてあると言われるこの車。腰から上を大きく揺さぶるような感覚があったがそれもだんだんしなやかな動きになってきた。正直慣れもあるだろうし、個人の感覚の部分もあると思うのだが、なかなかこなれてきていると感じる。ツルシで乗るならならこれで十分。そう思わせる出来だ。
心なしかロードノイズもエナセーブの市販用に変えて低くなった感もある。

ハスラーの中で最も重量の重いターボ4WDのグレード、盛夏時期でエアコンは入れっ放し、10分、20分の停車時のエアコン稼働させながらのアイドリングと過酷な使用環境で16km/l のメーター読み燃費が出ているのは上出来だろう。秋になっての燃費向上もまたあるだろう。楽しみだ。


いい販売店に出会えたこともうれしかったしそれも含めていい買い物をしたととても満足している。なにより車を降りて振り返ると水色の愛らしいボディが目に飛び込み、これがとても楽しい。

また遠くまでいこう。

2015年7月15日水曜日

サイゼリヤにおいしいものを食べにいく、というはなし。

皆さんはファミリーレストランなど使ったりするだろうか。
どこにでもあって、値段もわかっていて、便利な場所だ。

例えばサイゼリヤ。みんなが知っているファミリーレストラン。それもセグメントとしてはお安めの方向。でもこれを下に見たりバカにしちゃあいけない。そう思っている。
わざと極端な例を挙げるというものではなく、ケレン味のつもりもなく。
サイゼリヤ、素直においしいと思うのだ。
なんといったらいいだろう、みんなが好きな味、でもちゃんとサイゼリヤというレストランの特徴を感じる味。世界観がある。それを上手に、こちらから迎えにいって楽しむ、というようなスタイルを考えてみるのは楽しいものだ。

どうにも世の中の多くの人は、楽しみ下手だと言わざるを得ない。

むやみにクラスを上げていって「ここから下は食べない、認めない」と肩を聳やかす人もいる。
逆に上も横も見ないで駐車場があって長居できるからという理由だけでファミリーレストランを選び、そこから他をみようとしない客もいる。そういう客とそういうわけではなくやってくる客が鉢合わせしてしまうところがファミリーレストランの弱点なのかもしれない。

サービスはすべてお店側が用意してそれをただ楽しむだけ、そう思っている人が多いのも気がかりだ。
向こうから全部やってくる、という考え方。上を向いてそちら以外は耳を傾けないというスタイル。
けれど、自分から気持ちをそちらに向ける、楽しい方に歩いてゆく、そういう、努力というほどのものではなく気持ちの切り替え、考え方一つで楽しみの幅とその受容量が増える、というやり方があるのを忘れている。
ようは思うこと、なのだろう。楽しく思う、楽しみに思う。ここにはじまりがある。
間違えてはいけないのが「楽しむ」のであって「楽しませてもらう」という考え方ではいけない、ということ。

本物の大人、本物の紳士はどんな場所でどんな食事を出されようとそれを楽しもうとするものだ。
そうありたいと思っている。

2015年7月11日土曜日

カメラをなくした。わかったことがあった。

カメラを紛失した。

イベントの帰り、湯島界隈ににクルマを止めてデリーで夕食とろうと思ったときに気がついた。クルマの中、どこを探しても見つからない。3分ほど考えてするりとあきらめた。あきらめがついた。そしてそんな自分に驚いたのだ。

強く思ったことは「ああ、今日のイベントで撮った動画と写真がオシャカだなあ。写真はWi-FiでiPhoneに7割方飛ばしておいたからいいけれど、動画がもったいなかったなあ。仕事の動画じゃなくてよかった」ということくらい。意外や、カメラ本体に執着していないことが自身でわかった。少し驚いた。

なくしたカメラ、いま手持ちのカメラで一番使用頻度が高く、ほぼ100%外出時に持って行く取り回しのいいコンパクトカメラ、CanonのS120というモデルだ。描写や性能も十分に満足していて仕事で大いに活躍してくれる。実用機だがシャンパンゴールドのボディにちょっと色気を出そうかとベージュのリザード型押しの張り革を施した。それなりに気に入っているのだ。


実は食事を終えてほどなくどこになくしたかを思い出して連絡、事なきを得たのだが、そのときの自分の心の動きで色々わかったことがあった。
カメラ本体には特に愛情を持っていないのではないか、ということ。
本当に重宝で、吐き出される画にも満足しており、小さくじゃまにならずで言うことがない。持っていても「いいカメラだね」と人に言われることも多い。
が。なんとなく、であるのだが本当に実用のための機械であって「これじゃないと困る」というよりこのレベルの画が得られなければ困る、と言う感。使用感とコンパクトさが変わらないのなら同等で他社のものでもいい、とさえ思う。めんどうなUIが変わってしまうことを除けば、だ。

このカメラの前にNikonのP310というカメラを使っていて、こちらはなんとなくモノとしても気に入っていた。こわれて同形の新しいモデルを買ったらどこかなにかしっくり来なくて使わなくなった。後継機でUIも変わらずすんなり受け入れられるかと思ったら、 どうも持った時の質感や重さが違うように感じてしまったのだ。3台も使うとそういう部分はわかってしまう。一部さわった感じが変化していたのはものとして気に入っていたはずの気持ちを削ぐものだった。

とにかくカメラは道具だ。わたしにとってはそういうものだ。忠実にいい仕事をしてくれるパートナーであることを望んでいるのだ。

2015年6月15日月曜日

レシピを聞く人の話。相手の技術に対して敬意を欠く態度。無自覚の罪。

レストラン、飲食店でたまに耳にすることがある。気になる言葉がある。

「これ、どうやって作るんですか?」
「スパイスなに入れているんですか?」
「炒め具合の止めどころと出汁を入れるタイミングってどんな具合でしょう?」

こういうことを調理人に罪なく聞く人が多い。
正直に言おう。こういう質問にまともに答えている調理人は、いない。

当たり前だと思う。
それは彼らの生活の糧になるものだからだ。彼らはそれを何年、何十年もの時間をかけて学び、自分のものとして作り上げてきた魂こもる大事なものだ。

たとえば、だ。
陳健一さん、ナイル善己さん、落合努さん。みんな雑誌や本にレシピを出している。だったら聞いてもいいじゃない。そう思う人はその掲載されているレシピ通り作るといいと思う。どういう風にやっても四川飯店やナイルレストラン、ラ・ベットラの味にはならないはずだ。
そのことを、ひどいじゃないか、サギだ、と言うだろうか。
シェフが悪いのではない。あなたが悪いのだ。例えばあなたの家庭用の厨房機器、それでは火力がまったく足りない。その安いフライパンの薄さではきちんとした火のコントロールができない。同じものを揃えたあなた、今度は残念、腕と修行期間が足りていない。彼らと同じく数十年間プロの現場にいたことのないあなたでは色々な部分でどうしても差が出てくる。
そこを鑑みて、それを踏まえてシェフたちは簡略なレシピをあなたの腕と厨房機器に合わせて書いてくれているのだ。それでも同じレシピを欲しい?ではそれなりの敬意と支払いを、シェフたちに。
数十年かけて自分のものにしたレシピの対価をちゃんと払うのだ、聞いた人は。莫大な金額になるだろう。当たり前だよね。

それとレシピ本。意味がないわけではない。ただ、そのままそれを作るのか、咀嚼や研究をそこを起点としてやってみるのか、やらないのか。そのことがあなたの本棚に眠る何冊もの良心的なレシピ本を活かすか殺すかを決めるのだ。

あなたは何のジャンルのプロフェッショナルなのだろうか。そのプロフェッショナルな世界にまったく関係のない人がやってきて「あなたのその技術、すごいね。私にもできるようにこの場で教えて」と罪ない瞳で言われたときに、あなたはどうするだろうか。

2015年6月13日土曜日

お弁当箱とキュレーションメディア。

キュレーションメディアとかなんとかが台頭している。そいつはいったいなにだろう。
わたしが思い出すのは空のお弁当箱や重箱みたいなものだ。
空の重箱じゃあ腹いっぱいにはならない。空のお弁当箱をよこされても人は喜ばない。
大事なのは何が入っているかということで、その何ってのはうまい煮物だったり気の利いた漬物だったり香ばしい魚の焼き物だったり。
図書館も同じだ。空の書架が延々並んでいるだけでは図書館は機能しない。たくさんの本があるから行ってみようかな、と思うのだ。

それがコンテンツ。

中身を入れてもそれがうまくなきゃ誰も食いつかないし、誰も見向きもしない。重箱を作る職人は尊ぶべき存在で、しかし重箱が生きるも死ぬも板前の仕事の範囲の中なわけで。少しは板前の取り分を考えてやらにゃあ重箱なんぞ埃をかぶって忘れられるだけだ。本来中身ありきの器であるはずだ。

ゆめゆめ忘れるなかれ。
大事なのはコンテンツメーカーで、それに食わせてもらっている感謝を忘れたらそれはもう先がない。みんな見ているといいよ。転ぶ奴がどう転ぶかを。勉強になるはずだ。
いくら閲覧数を増やしたとしても中身のない場所やオリジナルにこだわらない場所は廃れていく。みてくれで10万ビュー/日、などあったとしても、閲覧者の質が下がれば廃れたも同然だ。同じく質の低い閲覧者を集めてそこで搾取するという商売も感心しない。長く事業を続けようという意思がみられないのはどうにもやるせなさと荒寥とした気持ちをおぼえずにいられない。

だから、逆にわたしは心あるキュレーションメディアは一括りにせず、ちゃんと応援する用意がある。ただ見ればわかるのだ。そこがよい場所かそうではないか。


2015年6月8日月曜日

あの店を雑誌取材で取り上げた。

あの店を雑誌取材で取り上げた。あっちのあの店も取り上げた。



直接言われたことはないが、空気やら、なんやかやはなんとなく伝わるものだ。
わたしは最近マニアに疎ましく思われているような感がある。そんな気がしている。
逆にそんなことを思うことこそが奢りだ、とも言われそうだが、あえてこんなことを書いておこうと思った。

あの店、は錦糸町にあるちょっと変わった店だ。南アジアの国の人が日本で働く同胞めがけて料理を作り、外国人コミュニティのクラブハウスとして機能しているような店。以前はそうだった。今もそうなんじゃないかな。
このあいだ取材に行って外国人のお客に聞いてみたら以前は同国人のお客が多く、今ではそれが逆転して日本人客の方が多くなっているようだ。

さて、これはいいことなのだろうか、そうではないのだろうか。
大変難しい問いだと、自分でも思う。

カレーやアジアエスニックフードのマニアはきっとこういう店をそっとしておいて欲しいと思うだろう。彼らはその希少性や日本ではおおよそ食べられないであろう味をその雰囲気とともに味わうのだ。それはとても楽しいことで、わたしもそういうニュアンスで食べに行くのが大好きだ。ちょっとした旅のようなものだ。そういう体験が出来る。

そうは言いながら、例えばわたしのような立場の人間が取材に入る。メディアに流れたその情報はマニアの括りよりもう少し幅の広い層に伝わり、広がる。結果日本人が多くなり、日本人顧客に向けたメニューや日本語でのやり取りが増えて行き、異国情緒のようなものは消えて行くだろう。店主の日本語もずいぶん達者になった。残念な話だ。マニアにとっての価値はなくなり、また新しい、日本人が入りづらそうな面白い店を探す巡礼の旅が始まる。

さて、ここでフォーカスを動かしてみる。
ここまでの話は全て顧客側からの話、目線だ。お店は、南アジアの店のオーナーやコックはどう思っているのだろうか。
これはその店の彼らに直接聞いたわけではないのだが、この店ではない同じく南アジア料理の店を経営するわたしの友人から聞いた話などからの想像だ。


店とはなんだろう。

店をやっている店主たちには店や商売に対してのそれぞれの想いがあると思う。が、それとは別に日本人だ外国人だは関係なく、同じくするものもあるはずだ。

「店というのは存続し続けるべきもの」

ということだ。
つまり、永続性を持ち、もっと言えばちゃんと儲かって国に家を建てたり両親に楽してもらったり、自分は日本でいい暮らしをしたり将来は国に帰って稼いだ資産で豊かに暮らしていく、そんな想いが共通してあるはずだ。顧客に料理やサービスを提供することとは別に、店を回してそれを着地させたい地点、目標があるはずだ。なにより儲からなくて借金だけがかさむ、自分のメシが食えない、なんていうことを望む店主は一人もいないはずなのだ。儲かって、繁盛してなんぼだ。考えて欲しい、あなたの商売。給料が出なくていいのか?タダ働きで大丈夫か、あなたは?

そういうことだ。

彼らは商売をしている。商売だから儲かるのが一番。そしてもちろん客を選ぶ、その権利は店にある。そう、店は客を選ぶ権利を持っているのだ。お客様は神様ではない。すべてに門戸を開く必要はまったくない。が、儲からなければつぶれてしまうのも事実だ。そこで店主は考える。取材で来客が増えるがその内容はどうなのか。それとその来客でどれくらいの売り上げが見込めるのか。正確な数字などは出るわけもないのだが、やはり考える。そして決めるのだ、自分の意思で。
ここまでかっちり考えなくとも体が、経験が判断する。どんな国のメシ屋の店主でも同じだ。取材に乗るも乗らぬも最終的には店主が自分の責任で決める。明るい未来を夢見て選ぶのだ。

そして客だ。
客は客。こう言ってはなんだが客が一人、へそを曲げたからといって、店は動かない。しつこくインターネットを使って絡むような輩はなおのこと無視をされる。当たり前だ。なぜならそういう客が毎週やってきて一晩で10万円づつ落として行ってくれたことがあっただろうか、そんなことはありはしない。そしてあなたにはそれができるだろうか。わたしにはできない。できないけれど、大事に思っている店だ。存続してもらえるのが何よりも大事だ。店主とも仲良くなった。彼が事業に失敗してうつむいたままこの国を出て行くのを見るのは忍びない。

彼らの笑顔が見たい。そして彼らの作った食べ物をなるべく長い間食べに通いたいのだ。だからわたしはメディアを使う。皆さんの力を借りる。そうやって長く付き合える店を応援していけば、仲良く、ずっと応援し続ければいいと思っている。
どうしてもあなたが昔のあの味を食べたくなったときに、今はメニューから落ちてしまったそれを店主に頼みこんで作ってもらうこともできるだろう。そんなことも彼らがきちんと成功してこの国に根をおろしてくれてのことなのだ。

自分だけの秘密にして、未だ日本人の入りにくい異国情緒たっぷりの店。そっと誰にも言わずに月に一回通っていたその店がある日閉店の告知を張り出す。大事な店がなくなることを嘆き、最後の営業日に出かけて行って別れを惜しみ、たっぷり奮発して1万円使う。そんなことになんの意味があるのだろうか。ちゃんと自分の好きな店に形になる恩返しをしていたのか、問うてみたい。店がなくなったあとにどう恩返しをするのか、問うてみたい。

だからわたしは、大事な店はメディアに出てもらって、わたしとその記事を読んで賛同してくださった皆さんと一緒に食事に出かける。応援をする。わたし一人では一晩に5万円ずつ毎週落として行くのは無理だから、このスタイルを選んだ。

すべての店に当てはめられるわけではない。わざと客を絞り、自分の研究や芸術に邁進する店もある。それはそれでいい。それもまた店主が承知でやっていることなのだから。つぶれようが苦しかろうが、彼自身が決めて背負ったのだから自分で尻を拭うのだろう。
コミュニティのクラブハウスとしてやっていきたい店はちゃんと自分たちで線を引いて日本人をオミットする場所、時間を作るだろう。事実そういう場所も未だ多い。そういう場所はまた別の存続法を店主が知っているのでわたしのやり方を当てはめる必要もない。それを知っている店にはそっとじゃまにならぬようにプライベートで出かけていく。

わたしには大事にしたい店がたくさんある。わたしのやり方は、これ。
明日からもこうやっていく。

2015年2月23日月曜日

下界と切り離される、一瞬。救いの場所は人それぞれが持っている。

ここに来てカウンターに座れば世界中の面倒から30分だけ切り離してもらえる。あなたはそういう救いの場所をお持ちだろうか。急にそんなこと言われても、と言わずに考えて欲しい。そういう喫茶店や食堂、行きつけの中にないだろうか?そこまで考えたことなかったなあ、という人も、言われてみれば、と思うところがあると思う。

ごく個人的にわたしにとって、という場所。
たとえば同じいつものレストラン。いつもの喫茶店。何気なく通い始めてそれほど思い入れもないんだけれど、もう20年。そんな場所。ないだろうか?10年も通っていれば、何気なく通っている店や場所がそういうものに知らぬ間になっているもの。無意識なんだけど、実はそういう場所だからこそ通っている、という言い方も出来るかもしれない。

わたしは神田神保町にそういう店を持っている。たった30分間のランチタイムで立ち寄る町のカレー店。食べて、黙って出てくるばかりのそんな店なのだが、解放や心の平穏がある場所だ。ただし、自分にとっての、自分だけの、であるが。


自分の好きな場所は自分の体験で決まる。自分だけが決める権利と自由を持っている。
たとえば食のSNSなどの点数で選んでいる輩はナンセンスではないのか。自分の経験の積み重ねで自分が幸せな、自分にとって塩梅がいい場所が作られる。飲食店評価サイト等を例えば使っても、いった先で「この店は合わない」とか「ここはこんなときに使おう」という蓄積をしていれば価値もあるだろう。聞こえてくる「点数低かったのにいいねここ、低い点数の店もたまにはいってみよう」とか「ここは点数が高いのに全然ダメだ。コスパが、、」とか。そういう会話が聞こえてきたらその人たちと食事に行くのはやめたほうがいい。特にコストパフォーマンスをコスパと縮めて使う連中には近づかない方がいいかもしれない。あなた次第、だ。


ただひとり、自分だけの基準を持つべきだ。あなた自身の基準を作ってもらいたい。積み重ねだ。そして、誰かのうわさでお店に行く時はその人と心を重ねてみてほしい。気持ちに余裕があるときに行ってみてほしい。だんだん外食で損をしなくなるはずだ。


2015年1月17日土曜日

エプソンのスモールプリンター。A4使えないけどこっちのほうがいいかもなあ。

少し前にこばやしかをる嬢のところでEPSONの新製品を使った。
A5までしか印刷できない小さなプリンターだった。PF-70、だったかな。

A5までしか印刷できない小さなプリンターだった。言い方を変えると2L印刷ができる小さなプリンター。
で、よーく考えてみれば、日々の中のA4印刷なんて請求書と見積もりを出すだけだった。そんなもんだった。
そうか、そうだよな。それでそういうのは特にやっておらず、写真がほとんどの人はこれがいいかもね、サイズ。じゃなきゃA3まで出せる小さいやつ。そのどっちかが、いま欲しいプリンターな気がしてる。プリンターってやつはどれもけっこうかさばって、ちょっと気持ちが落ちる。部屋に置くと思いのほか場所をとってがっかりする。なにしろディスプレイとかみたいに毎日電源を入れるものではないので、一層。なければないで済ませたい、くらいの気持ちだ。
これなら大きさ、合格だ。持とうと言う気になる。


このプリンタは背中にロールペーパーつけられて「今時なんだ?」と思ったらシールプリント。これがめっぽう楽しい。ヤバイ。プリントした写真とシールと。まったく価値観が違うんだよね。写真を写真として完結させるために選んで紙焼きの意識で印刷するのと、シールにするために選ぶのと。選ぶ内容が違う。価値がまったく違って、当たり前なんだけどそれがおもしろい。シールって、いいよね。

それと、こばやしかをる嬢とたくさん話した中で出て来たのだけど、プリントのL版ってあれは写真としての一番小さい単位、サイズだと思うのだけど、なにかっていうとハンドリング。持って歩いて人に手渡したり見せたり。あげたり。そういう用途のためのサイズだなって思う。そして2Lっていうサイズはここから初めて「作品」として通用するサイズ、飾るための最小単位のサイズなんじゃないかなっていう話し。そのどちらにも対応しているので写真趣味をスタートさせるのにとてもいい機械なんじゃないの、という話しになった。

いいじゃないこれ、おもしろいよ。