2014年12月26日金曜日

パーティーの名刺交換で仕事を「くれてやる」と言われた話し。

ちょいと前にパーティでとある人物と名刺交換をした時のこと。

どうやらその名刺を見ると彼は最近ぐんぐんと成長している映像関係から始まって総合メディア企業に大きく育った会社の社員らしい。その彼自身もなんだか勢いがある感じがした。

「なんかおもしろいこと書いてるんだったら載せてやるからよこしなよ。ギャラこんなもんでこれこれでオレの名前出せば云々、、」

なんてことを言われた。多少端折ったが、言っている内容と語調はわりとこのままの印象だった。
たぶん悪気はないんだろう。たぶん田舎者かヤンキー上がりかその両方か、ただそれだけで悪気はないんだろう。それは、よくわかる。気にもならない。

写真は本文と関係がありません。

僕は請われて動く仕事が好きだ。生意気だけど。
あなたにやってもらいたい、と言われるとうれしい。
そんなに自分から営業をかけない。だから時間がかかってはや50だ。だからこのやり方はあなたにはオススメをまったくしたくない。しかし、気持ち良く仕事をするだとかお互いに責任を持つ、なんてことの根っこがそこにある気がしてる。
相手の事を尊敬して話しを聞く。一緒にやりたいという共感を持って仕事をたのむ。
こちらもそれがわかるから、精一杯やる。責任を持つ、果たす。
理想ばかりではメシは食えない、だが、これがやはり思うところだ。わたしも仕事での失敗はする。そんな時は本当につらい。なにがつらいか。信頼や期待に答えて差し上げられなかった事に対する自責の苦しみ、つらさだ。

なにもないところに何かを生みだすというインターネット業界に多いみたいなんだが「あなたの宣伝になるからうちに載せてあげる。うち、インターネットの大看板。アクセスとかすごいよ。これ、好意ね。だからタダかスズメの涙でいいよね。だってあなたがタダで有名になっちゃうもん」そういう台詞を吐く人を今年もたくさん見た。
インターネットサイトは空っぽの入れ物だ。その中にいろいろな中身、コンテンツが入って初めてpvだ広告だってのが動き出す。からっぽじゃあなにもスタートしないのだ。器だけのお弁当が売れるところを見た事がない。穴ぼこだらけの幕の内弁当は誰も見向きをしないのだ。
中身を作れないから人に頼むのであろう。アウトソーシングだ外注先分散でコストを軽減だいう言い方をする人がいる。そんな薄っぺらなことを言っても仕方がない。要するに自分の会社でその部分を生み出す力を持っていないわけだ。流通だろうがネットだろうが生産の場所がなければなんにもなりゃあしない。ネットなど、物流がない世界だ。発信なぞ小学生でもやっている。

こんなことをいろいろ言っていると自分でも足下をすくわれる事もままあると思う。そう頭がいいわけではないので、でも承知でこんなことを言っている。
足をすくわれたときに、この文章に戻ってまたやり直す事が出来る強みが、わたしにはある。請われない場所には足を向けるつもりがない。


*追記
要約してみると「あんたの看板でオレが売れるんじゃなくて看板しかないあんたにオレがオレの看板含めて貸し出して中身入れてやる」って話し。生意気で申し訳なくも思う。ちゃんと心ある方々には。