2016年12月11日日曜日

ライターという看板を下ろそうかと思っている話。

なぜ山中湖をフロントガラスの正面に据えてクルマのシートに座りiPad miniで文章を打っているのだろう。なぜ1年半で新車のオドメーターが4万を指すのだろう。なぜ1日でカレー店に3店も行って、しかもそのうちの1店ではカレーを食べずにおしゃべりだけして出て来たのだろう。それもこれもたぶん必要だからだろう。そしてそれがなぜか生業(なりわい)になっていく。いや、微々たるものだ。世界はそれほど優しくない。しかし、その微々たるものを得ると、そういうものなのか、と思った優しい人々がまた同じような仕事の依頼を投げかけてくれて、微増する。不思議なものだ。

カレーの記事連載が月刊誌でもう5年ほど続いている。
今日は材木座の香菜軒 寓の店主に嬉しい言葉をいただいた。あなただから取材をして欲しいという店が、人がいるのだろう、だから連載が続いているのではないか、という言葉。それを大事に頭の奥の方に刻み込んだ。なるべくそれに沿って、なるべく心をそれに沿わせて。もともと飲食の現場に僅かだが10年ほど身を置いて、見て、聞いて、学んだことを忘れないようにしながら、店主の目線に寄り添って取材をして来たつもりだ。それが相手に伝わっているのかもしれない。だとしたらとてもうれしい。

最近わかったのはわたしはどうもライターではないのだろう、ということだ。
ライターが誌面で店主とニコニコ笑う写真を載せるのは少しおかしい。ライターが何度もテレビやラジオに出るのはおかしい。そうなのだろう。
ライターの仕事は媒体からお題をもらって、それに沿った取材をし、そいつをその媒体の流儀に沿って数多くの読者の咀嚼しやすい形に文章にして投げ返してあげることだ。媒体の性質を見越して取材を企画して作り上げることもあるだろう。それがプロフェッショナルライターだと思う。
わたしの名刺にはカレーライターと書いてある。キャッチーでおもしろい。そう思って使っている。しかし仲が良いと思っていた知人から厳しい言葉をもらった。それで、このかんばんをおろしてみようかと思っている。通用しない人が一人でもいたらそいつはダメなものだ、という教えを昔世話になった社長から教わって、今回は自分で咀嚼をしてもやっぱりそれは変わらなかった。
さて、どうするか。肩書きか。まだ肩書きがいらないほど素晴らしい人間にはなってはいないと思う。さて、どうするか。随筆家を名乗ろうと思ったが思いとどまっているところだ。



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