2014年6月4日水曜日

いいことばかり書く、という可哀想なものの見方の人がいる。

誰だかが私のカレーについてのブログYouTubeチャンネルについてこう言っていた。


「いいことばかり書いてあるけれど本当なの?マズイ店ないの?」

こういうことを書く人間は普段は相手にしない、というより見かけてもなにも残らない、引っかからない。意識の外にあるから、自分の客ではないと思われるので記憶にも残らない。
とはいえたまに気まぐれでこうして書いたりする。
いいことばかりは本当か?

本当だ。

ただしこの質問を口にしている時点で質問者の意識レベルや経験では「なぜ本当なのか」を咀嚼したり想像したりすることは出来ないだろう。

写真と本文は関係がありません

なぜなのか私にはさっぱりわからないのだが、飲食店に行くと粗探しを始める輩がいて、がっかりさせられる。自分の財布を開いて支払いをするのであろう、そういう食事のときに、だ。あきれてしまう。
きっと職場や生活圏で同じ目にあって、そのループから抜け出せぬまま他人にも同じ嫌な目に合わせて満足している輩なのだろう。
飲食店で自分の財布を開いて食事を楽しむ。そう、食事を楽しむべき店に来て自分で楽しもうという努力をしない部類の輩。まずは同じ土俵に立っていないので話が噛み合わないこと甚だしい。

楽しむための努力の方法はいろいろある。
その場で行う「楽しむための努力」だったら、例えばくだらない粗探しではなく、ブラスマイナスゼロのニュートラルラインからのいいところ探し。
楽しむ気持ち、楽しむ力。人間力とも言い換えられるものを持っているかどうかでそれが出来るかどうかは変わってくるだろう。
その場を楽しむ。ミスと思えるようなものに寛容になったりそれはなぜおこったのかな?と相手の立場に立ってみたりする。
その行為は慈悲深い王のような心持ちだ。誇り高い者には、誇り高くやっている店でならきちんとした扱いが保障される。そして誇り高い者は志同じくする空気が有る場所が、店が、わかるのだ。

事前の準備としてなら、日々を努力して収入を大きくする。現在の日々のランチの10倍ほどの金額のランチを毎日食べられるような線に持って行く。自ずと心の余裕や楽しむための素養がそこまでで出来ている(といい。そうだと信じたい)そういう金額や格のある店にはあなたをイライラさせる要素も少ないだろう。
そういうやり方もある。あなたにやる気があれば、だ。

まずい、とはなんだろう。マズイ。不味い。まずいという言葉。

なぜ質問者は不味い店に当たるのだろう。きっと経験が足りないのではないか。食だけの話ではない。たくさんの経験を積んで判断の幅が広がる。そういうことを怠っているのではないか。そういう勉強や知識欲からより楽しい判断が出来るように自分を鍛え上げてみてはどうだろう。

さあ、あなたの番だ。レストランに行こう。あなたが試される。試されているなど思わずに、こんな文章のことなど笑い飛ばして自分だけの、心から満足行くランチを、あなたは今日、手に入れられるだろうか。



<追記>
不味い店に当たること、不味く感じさせる店に当たることがないわけではない。本来こんな昨今である。野菜も肉も品質改良され、調味料も然りで「味の底上げ」のようなことが戦後ずっと、続いている。そういう中でも「不味く感じさせる店」はあるわけで、それはいい。私はただ、黙っているのだ。黙って支払いをして、抵抗するように残すこともせず、一見いい客風に店を出る。もう一度、はない。そして騒がず、誰に言うともなく、黙っている。さて2〜3ヶ月後。私が件の店の前を通りかかるとどうやら営業をしていないらしい。閉店ではないようだ。廃業だ。つぶれたのであろう。そういう経験を数多くしている。黙っていても、魂なき店は消えてなくなる。あなたが「食べログ」で下品な言葉を並べる必要は、一切ない。


0 件のコメント:

コメントを投稿