2014年6月19日木曜日

「臨時休業」(仕込みまにあわず)は健康的だと思う、という話し。

飲食店で「臨時休業」(仕込みまにあわず)という張り紙を見ることがある。
Facebook等で知ることも多いのだけれど。
売れた。予想以上に売れた。なのでストック、仕込み済みが底をつく。
物理的に営業は無理だ。帳尻合わせでは営業できない。仕方ないので一旦店を閉める。

健康的である、と思う。

ニッポンのレストラン、大手の資本が入ったところなどが特にそうなのだが、素晴らしいこととしてやっていたことが、どこかでボタンを掛け違えておかしなこと、不健康ことになってしまっているかもしれないなあ、と思うところがある。

ニッポンのレストランはすごい。グランドメニューがあって、そのメニューの品数は他の国のレストランと比べるとただ事ではなく、そして品切れなぞないことが多い。すごいことだ。そしてその状態を365日、保ち続けるのだ。並大抵のことではないと思う。こんなレストランが軒を並べてしのぎを削る国は日本くらいなのではあるまいか。


それはつまり資本力でもあると思う。店舗での食材管理、流通の整備と効率化、商品開発の研究。長く品質を保つ技術。全国に同じ看板を掲げる数百店、数千店のメニューをすべて均一な味と香り、鮮度に保つためには莫大な労力と資金力が必要だ。その上それをリーズナブルと消費者が感じる値段で提供をしている。
例えば離島と東京新宿、その看板が同じものなら同じ値段と味なのだ。

異常ではないか。

季節も天候もあるだろうに、生鮮野菜や決められた食材はメニューに美しく写真が載っており、それは絶対のルールとなる。写真通りでなくてはいけないのだ。生産者へのプレッシャー、契約条項、それを死守するための技術革新や科学的なアプローチ。そのコストは当然ながら最終的には口にする皆さんの支払う価格に乗ってくる。なのに、安い。
いろいろ変だとは思わないだろうか。

インド料理では、いや日本の家庭料理でも、その他の世界のお母さんたちの料理はカレーや味噌汁、おかずの味は毎日完全一致、一定などということはない。当たり前だ。家庭のお母さんが、家族の顔を思い出し、その日ごとに考えて作るのだから。
今日は寒いから暖まる献立にしてみましょうか、とか、息子はどうやら体調が悪いようだから、消化を良くするスパイスとリラックスできるハーブを使いましょう、とか。
レストランの料理も、町のレストランや食堂なら同じ考え方で作っているはずだ。市場で探した、今日いちばんいい食材を買ってきて、それをコックさんの技術でいちばんおいしく仕立てて献立に載せる。だから通年で出せる決まったメニューはそれほど多くない。当たり前だ。

食に関わる人は、それが、自分が手がけたものが、人のからだにはいるということを意識していない人はいないはずだ。巨大なセントラルキッチンで一日何万食も作られるメニューを手がける開発者も、町の食堂のおっちゃんも分け隔てなく同じだろう。
が、しかし。間に流通や保存、加工方法やいろいろな要素が複雑に重なれば重なるほど、多くの人の手を通らなければならず、そのなかでいちばん初めの開発者の想いが薄まったりしているかもしれないのではないか。そういう想像力を持って夕食の、ランチのテーブルに付くことは悪いことではないと思う。

売り切れでお休み、仕込み中、は正直の証かもしれない。
(お客さんの来客数の読み違え、という線も捨てきれない。そこは人間のやること。ご愛嬌、だ)

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