2016年8月15日月曜日

ガジェットについておもうところ。

ガジェットの勢いがない、と感じる。
おもしろいもの、ジャンルが少なくなった気がする。

おもしろいものもないわけではないが、GoProスゲー!、とかVR万歳!とかは全然思わない。正直むしろVRなんてわたしは興味がない。
ただ、その使用シーンやそこで得られるエモーショナルなものが素晴らしいのだ。それが本質だと思う。
最近はガジェットにとんと反応を示さぬ自分のアンテナだが、ガジェットが好きなんじゃなくてそれを使って世界が変わるのが好きなんだ、と気づいた。だから、いい経験だったけど自分がやってたガジェットに対する向き合い方を振り返り、違和感を感じている部分は少なからずある。
いや、うん、意外と変わってないか。仕事にせよそうじゃないにせよ突き詰めるとカメラが好きなんじゃなくて撮れる写真が問題なんだし、道具だから自分が望むシーンで思う通りに答えてくれる機械がいい。「このデバイスがあるから手に入った体験。それも自分が望むもの」に心動くのは変わってないみたいだ。だからレビューっていうのは人のものはちょっと意味がないと思う部分もある。その本人じゃないと使用シーンは限定出来ないしそれと同じレビューってのはなかなかむずかしかろう。受け手もそのレビューを読み解いたり想像したりする力がなくちゃいけないし。だからレビューにしろ、その機械そのものにしろ表層のマスが否定的でもそれはどうでもいい。自分にフィットするかどうか、それを自分で見極めることだ。これはね、ガジェットガジェットってさんざ書いたけど、カレーにも、自分の日々にもすべて共通することなんだよね。


<追記>

25年ほど前に10年間、雑貨業界におりまして。それでね、ずっと色々自分の好きな物をみてきて思うこと。これはごく私的な感じ方なんだけど、雑貨というものが一度死にました。そしてその魂はガジェットというジャンルに宿りました。ところがそのガジェットが瀕死。気がつくとその魂はアウトドアというジャンルにあったなあ。そういう気分が僕の「いま」の気分です。詳しくはチャンスがあればお酒の席で。



2016年8月12日金曜日

雑貨の終焉とガジェットの道半ばと見えない未来と。

雑貨の終焉はもうずいぶん前から始まった気がしている。依然このブログにこんなエントリーを書いた事がある。

「追悼、ビレッジヴァンガード」

それと、文化屋雑貨店がなくなってしまうという衝撃的な知らせが届いてすぐ書いたエントリー。こちらにはむげん堂やガラクタ貿易の事にも少しふれた。

「文化屋雑貨店。僕らは雑貨と一緒に育ってきたんだっけな。」

僕たちはピンクドラゴンの山崎さんを失い、クリスマスカンパニーやビレッジヴァンガードから魂が抜けていく様を目にし、文化屋雑貨店を失い、F.O.B.CORPをも今回、失った。
かろうじてお茶の水ではなくなってしまったガラクタ貿易、それにアジア雑貨の元祖仲やむげん堂の各店に心を支えてもらっている。

ギフトショーにもう何十年も通っている。10年ほど感じているのは「海外渡航直接仕入れはもはやナンセンス」ということ。
バイヤーが海外に飛び、汗をかき、靴をすり減らして見つけてきた雑貨たち。そういう宝物のようなものと出会う場所だった雑貨店。しかし今や店頭に並ぶ雑貨たちはどれもみな「どこかで見たもの」ばかりになった。ギフトショーに行けばわかる。それらはすべてギフトショーに出展されている。トレードショーなわけだからそこで商談がなされ、数ヶ月後には国内の各地の店舗にその商品が陳列される。渡航開拓の予算もなく時間もかけられない時代、その流れは止められなかった。そこまではまだよかった。
15年ほど、わずか15年ほどのインターネットの普及とECサイトの乱立で雑貨バイヤーではなく、コンシューマーがバイヤーと同じスピードで「あ、これみたことある」の状態にモニターの前でなってしまう。これでは本当にどうにもならない。もはや世界には宝物はないのだ。

今あるものはもう古い。そうやってすこしづつ雑貨の価値が弱まってきたところに「ガジェット」なるものが現れる。カメラや電子機器、ちょっとした小間物を世の中でガジェットの名前で呼びはじめたのはいつの頃だろうか。なんとなく浸透してきている言葉。なんとなく、なのだが雑貨からがジェットへのシフトが始まり、盛り上がり、そして今。そのガジェットという新しい価値がまた色褪せつつある気がするのだ。

いま、キーワードが「アウトドア」というものに集約されてきた感がある。
雑貨、ガジェット。どちらも必須ではないが生活に潤いやおもしろさを与えてくれるもので、しかしともするとそのもの自体を手に入れて終了、的な流れもあった気がしている。それはやはり少し違っている気がしていて、その雑貨なりガジェットなりを使って生活がライフスタイルが変わるとおもしろい、という結果が大事という考え方。アウトドアギアなんていうものはそう非ねば存在価値がないし、それを目指して作り込まれているはずだ。

そういう流れを感じている。

2016年8月11日木曜日

仙台のカレー店で聞いたインスタグラムのこと。

先回の続き、と言えば続きになるだろうか。

仙台に行って、友人のカレー店を営む男の話しを聞いた。大変におもしろかった。なんといっていいのか、価値観の違いや現代とはどういう時代なのか、というような話しなのだが。

彼の店にとあるお客がやってきて、店内や料理の写真をそわそわしながら撮っている。どうも普通の客と感じが違う。友人の店は大変に変わった店で、こんなのは国内で唯一なのではないかと思っているのだが、その日のメインディッシュであるカレー、この日は6種ほど用意されたのだがそれを小さな小分け皿に美しく小さくすべての種類をとりわけて客の前に持ってくる。それを味見させて気に入った味を注文すると言う、親切すぎるというか、七面倒くさいというか、とにかくすごい店なのだ。
そういうことを親切心と強い思いでやってのける店で、自ず店主の人間力は高いものとなる。なのでちょっとでも挙動不審の客がいるとさっそくそいつを取っ捕まえて説教に入る。まったくおもしろい店だ。

件のきょろきょろそわそわの客をつかまえて例のごとくそのお客に料理の話しや説明をした。しかしちっとも要領を得なかったそうだ。つまり、料理に対する基本的な知識が不足しているようだった。それは悪いことではない。そこから興味を持って知識をつけていけばよいだけの話しだ。友人の話しはきっとそのきっかけになるだろう。
そんな説明を受けて客は素直に食べはじめ、店主もそれを満足してみていたようだが、帰り際。
件の客が「東京から来ました。インスタグラムやってます」といって自分のインスタグラムのアイコンであろデザインのステッカを何枚も手渡してきたそうだ。これには店主も辟易したようだ。聞けばカレーの食べ歩きをしているようで、何百店も食べ歩き、フォロワーも多数。東京からこうやって遠征に来たりするそうだ。しかし。それにしては料理の知識が浅いのではないか、店主はそう思った。色々聞くのだがやはりなんとしても要領を得ない。噛み合ないのだ。そんな彼が唐突に「インスタグラムやってます」などという。その価値観はいい悪いではなくて一般的ではないのを彼はわかっているだろうか、心配になる。そしてその言葉は「この店の評判は影響力大きい僕が作るんだよ、わかるかい?」「なので有名なこのステッカーをあなたの店にも貼りなさいい」そういう言葉と同等だと、わたしも思う。たとえ彼が層は思っていなかったとしても、そうとられるのは仕方のないことだ。


そんな話しを友人から聞いてピンと来たのだ。これはあくまでわたしの想像なのだが、彼は写真が一番大事なのではないだろうか。わたしもわかる部分がある。食べ歩きをはじめた初期の頃、写真がうまく撮れなかったり撮影が禁じられている店でがっかりしたり、ということがあった。とにかく軒数をこなすのが好きで、価値だと思っていた。しかし、料理のうまさはそれとはまったく関係なく、いつでもそこにあった。
彼はどう思っているだろう。食事を心から楽しんでいるだろうか。写真が撮れなかった店は意味がないなど思っていないだろうか。そしてそのフォロワーたるインスタグラムを検索エンジンとして使う若いおんなのこたち。どこかリンクするものを感じる。

懸念していることがある。彼ら、彼女らは写真を中心にものを考える。それはいい。が、しかし。そこに探究心はない。その写真に写っている食べ物に、実はたいして興味はないのだ。単純に「きれい」「おいしそう」それだけを抽出している。そしてそれに答えるべく、裏打ちのない感想文といえるようなものをそえて、一番大事なのはきれいな写真、という考え方で店をまわる食べ物系インスタグラマーと呼ばれる人々。そういう関係性でつながってしまった感を覚えている。これに反発を覚えるあなたに意見はない。だってすでにこの文章に反発して、そうではない、食に興味があるのだ、と思っているのだから。なにも言うことはない、むしろ心強い。

かくいうわたし、最近では味などいう曖昧な基準は意識してさけて書いてみたりするが、逆にそこで出会った感激や気持ちをなるべく言葉に詰め込むようにしている。そちら側からのアプローチでなにか食べ物に関する興味を喚起出来ないか、そんなことを考えて文章を書く。が、そんな御託は彼女らは一瞥もしないわけである。

これはいい悪いで仕分けるものではもちろんない。だがしかし、それだけ。きれいでおいしそうだけで大丈夫なのだろうか。お店をめぐるのは新しい写真をインスタグラムに供給し続けるためだけでいいのだろうか。どう受け止めていいのか、わたしにはわからない。

インスタグラムの恐怖。

2010年秋にリリースとなったインスタグラムという写真共有サービスがある。サンフランシスコのソフトウェア会社が作ったもので、もともとはアプリ内で完結させるシステムだったがWebからの閲覧等の要望も強く、ブラウザ閲覧やいいねを押せる仕様に落ち着いた。


インスタグラムはスタートの頃から使っていたが、当時は純粋に写真を楽しみ、共有するユーザーがほとんどを占めていた。それなりに考えて撮った写真をアップロード、初期の頃のユーザーグループなどはデジタルカメラ、iPhone以外で撮った写真は御法度、外部アプリで加工などもNGなどの厳しいローカルルールを持つもところもあった。それはそれでとてもおもしろい時代だった。iPhoneの中だけで完結させることに価値観を見いだしたりするユーザーは多かった印象がある。とにかくみんな写真に真面目だった。(当時はAndroid用のアプリはなく、Androidユーザーがアプリのリリースを首を長くして待ちわびていたのを覚えている。その後、実に2年間のタイムラグを経てAndroid版がリリースとなった)外国人のユーザーにいいねを押してもらってとてもうれしかったのもインスタグラムだ。写真を使う、言葉がいらない写真SNSならではのコミュニケーション。素晴らしい、写真で言葉の壁を越えられるのか。そう思った。


わたしは一度インスタグラムを一度止めている。


前出のiPhone写真のユーザーグループに属したり、インスタグラムの中での、iPhoneグラファーと呼ばれる人々の中でフィルムカメラ時代以来忘れかけていた写真のおもしろさを再認識したり、一生懸命写真を撮ったりして楽しんでいた。雑誌やムックにも自分の写真作品が数多く載って、たいへんに得難い体験をした。今でも大切な思い出だ。そんななかで、ユーザーグループ間で争いごとをする輩がでた。まったくくだらない話しで、反吐が出た。どちらも自分たちが上、自分たちがオフィシャルだといいはり、それをみていてインスタグラムが大嫌いになった。インスタグラムへの写真投稿をきっぱりとやめた。気分が悪かった。

時は経ち、眺めてみればもうインスタグラムに写真を極めるSNSとしての役割は終わったのを悟った。主な使われ方は日常を撮ること。それが大多数のマスを占めている。それで、もう作品性などは考えず、ただカレーの写真だけをアップロードする便利でマスが大きいプラットフォームとして再度使いはじめた。ユーザー数が多いから。拡散力があるから。ただそれだけ。たったそれだけ。あとはまったくなにも期待していない。そこに「芸術」は必要ないのだ。

そんな折、インスタグラムが流行なのだ、という話しを若いおんなのこから聞くようになった。彼女らのインスタグラムの捉え方は古いわたし世代のユーザーとは意を異なったものであった。ソーシャルネットワークそのものなのだ。それも、言葉を持たないソーシャルネットワーク。そして、検索エンジン。彼女らにとってインスタグラムはSNS、コミュニケーションツールでもあり、Googleの代わりでもあるのだ。それも言葉、文字をほとんどを使わない、不思議なSNSであり検索ツールなのだ。

彼女達の使い方はこうだ。ランチタイム、彼女は渋谷にいる。渋谷でおいしいイタリアンのランチを食べたかった彼女はインスタグラムを立ち上げる。そのアプリの中でハッシュタグ検索をするのだ。「#渋谷ランチ」と打ち込む。すると「#渋谷ランチおすすめ」「#渋谷ランチどこ」「#渋谷ランチ人気」「#渋谷ランチ安い」などの候補がどんどん出てくる。その中の好きなワードをクリックするとインスタグラムにアップされた膨大な量のランチの写真がでてくるのだ。彼女らはその中からおいしそうな写真を選ぶ。そこには店名のハッシュタグがあったりおいしい〜などの言葉がハッシュタグとして残されている。ここでやっとGoogle検索、食べログ等の出番だ。だがそれは住所を知るためだけのもの。食べログの評価だなど御託が述べられているそんなものは一瞥さえされない。そしてその住所検索さえブラウザを介さず、GoogleMapなどに直接店名が打ち込まれ、その地図に従って店に向かうのが彼女らの流儀なのだそうだ。彼女らはいう。「Google検索なんか使うと文字列ばかりで無駄。さっさと食べ物の写真が見られればいい。」効率も良く、真っ当な意見かもしれない。

そんな若い世代のこたちと渡り合わなければならないのだ。フードジャーナリスト、など名乗ってしまったからには。いや、そういうこたちにはわたしはすでに相手にされていないだろう。そうではない世代と仲良くやっていくしか方法がないのかもしれない。由々しきことだと思っている。

2015年9月24日木曜日

訃報。

21時過ぎ。横浜都築のインドレストラン、ラニで店主へのインタビューの仕事をしているときに数年ぶりの古い友人からの電話が鳴った。訝しく思いながら電話に出るとそれは訃報だった。変な時間に珍しいやつからの数年ぶりの電話。嫌な予感がしたが、それが当たった。友人が死んだ。癌らしい。

膵臓だったか、腎臓だったか。
長かったが最近では数年に一回という感じになっていたそいつらとの付き合い。それで連絡方法が途絶えた奴らもいて、わたしのところに連絡が来た。幸いFacebookでつながっているやつがいる。メッセージをしてほしいと電話の男は受話器を置いた。
インタビューに戻り、それを終え、メインインタビュアーをわたしのクルマで家まで送って。
そのあとにやっとメッセンジャーで告別式の案内のPDFを送った。程なく返信があって、ほかの友人からも連絡が入ったことが分かった。電話の男も、メッセンジャーの相手もわたしも、冷静で静かなトーンで事務連絡だけを終えた。

ほんの少しのバタバタを終え、はじめに思ったことは「しまった、やつにはまだ用がある」、という思いだった。

いつだったか。iPhoneの3GSを持ってインドに行ったことがあった。当時早々にiPhoneで撮る写真のコミュニティやユーザーグループなどが立ち上がってきた頃だ。Instagramもまだなかった頃だった。インドではiPhone3GSを使って動画や写真をたくさん撮った。帰国してしばらくしてから動画はApple Store銀座のシアターで行われたイベントで上映、写真は新宿のハッティというインドレストランの壁を使って行われた写真展(二人展)で展示され、多くの方にご来場、鑑賞いただいた。大変に光栄だった。亡くなった友人は今晩訃報を電話で知らせてきた男とふたりでこの写真展にやってきた。一通り見て散々酷評をして帰っていった。これがなぜこの並びなのかわからない、この写真だけがほかの写真の中で関連性がない、わからない、わからないと様々な文句をつけて帰っていった。大変気分が悪かった。
後で思い出したのだが彼は写真をやっていたはずだ。当時のiPhoneで撮る写真と写真作品、コミュニティやその空気、彼はもしかするとその時そういうものを知らなかった可能性がある。いや、そんなものを知っている人は東京と大阪にひとつまみづつだった時代だ。そしてそれを知る必要も理解する責任も彼にはなかった。

そういう経緯で彼とは疎遠になった。
そうではなくても当時の仲間たちとたまに行っていたキャンプもあまり行われなくなっていたし、彼とだけでなく、中学高校時代によく遊んだ仲間は随分疎遠になっていた。
一度わたしが自動車事故にあったときに心配してメールをくれたが、返信をしなかった。ただそれだけだ。ただ、そのメールが実質彼とのやり取りの最後になった。後悔は先には立たぬ。そういうことだ。

彼がどう思っていたかはわからない。わたしが彼に対して腹を立てていたことを、もしかするとからは知らぬままだったかもしれない。今となってはなぜ彼があの写真を否定的に捉えたかもわからない。「やつにはまだ用がある。」ということだ。それは果たされなくなった。

くちをきくこと。しゃべること。顔を見ること。これはすぐさまやるべきことだ。インターネットなんてものを介していては遅きに失する。その事例がこれだ。このザマだ。彼の部屋の下に車を止めて、こんなことをいくら書いても彼は起き上がって降りてはきやしない。

だから、気が済んだから部屋に帰ろう。
未だ、彼が死んだなどまったくリアリティがない。信じられない。
あいつにはまだ用がある。

2015年9月23日水曜日

東京の夜の誰もいない場所。

よくしたことにこの東京でも「誰もいない場所」というのはあるものだ。
わたしはいつの頃からか、誰もいない場所というものを嗅ぎ分ける能力を身に付けてしまっている。

クルマに乗って走るとき、という話だがわたしはどうにも人のいない場所へ、人のいない場所へとハンドルを向けてしまう傾向がある。夜の闇、本物の暗闇などというものは東京に於いてはほぼ、存在しない。しかしながら上手に時間を選んで東京の外れあたりをを選んで走ってみると、なにやらぽつりぽつりと人がいない静かな場所がある。そういう場所をクルマで楽しむ。
こういうのはもしかするとあまり褒められた趣味ではないのかもしれない。
何故夜走るのか、なぜ人がいない場所を選ぶのか。それはそういう場所が私の好奇心や想像力をどうにもかきたてるからだ。その気分には抗えない。



いつもそそくさと身支度を整え車のキーを机の上から取り上げる。
月明かりの夜がある。どんよりした雨の日もある。強い雷雨、雪の降る日、そんな天候がすぐれない日、そういう時の方が気持ちが大きく動く。心の振れ幅や感じ方の受容素子がざわざわと音を立てて波立つのだ。そんな夜は必ずクルマのキーをうろうろと弄んでしまう。いや、迷う事は少ない気がする。思った時はすでに足がガレージに向かっている。そうやって車のドアを開いて、またエンジンに火を入れてしまう。

なにをする訳ではないのだ。
ただただ、クルマを走らせる。たまに気が向いて写真を撮ってみたりする。ビデオをまわすことは稀だ。いい所写真、それよりも自分のざわつく心を楽しんで夜を走る。そのざわつく心に任せたままハンドルを切り、アクセルを踏み、ひとりごとをつぶやいたり昔のことに胸を痛めたりする。

なによりも心が自由になる時間というのがわたしにとっての「誰もいない場所」と「夜の闇」らしい。そこに身を浸す為に、自分のクルマはいつでも切らさずに飼っている。

2015年9月7日月曜日

お腹がすいたまま書きなぐる最近思っていること。

すごくお腹をすかせた2015年9月4日、12時49分。一食の価値、なんて事を考えている。ごく私的な一食の価値について、だ。
わたしは食べることが仕事になっている。正確には「食べて、その食そのものとその周辺について感じ、そしてそれを書く」というものだと思っている。それはつまり食事が仕事であるということだ。今年の夏で51歳になったわたしは日々考える。
"お腹がすいた、なにか食べよう。
そういえばなにかSNSを動かしてやらねばな。
じゃあカレーを食べようか。
本当はいい季節なので旨い秋刀魚でも焼きたいなあ。
でもそれほど長くはない自分の残り時間でカレーじゃないものを食べていて大丈夫なのか。”

そういう、角度を少し変えると精神を病んでいるような考え方にとらわれることがある。

ちょっと話しは飛ぶが、30年ほど前の恋人の話しだ。
長距離恋愛だった。彼女は静岡県の焼津市に住んでいた。雑貨の貿易の関係で知り合った女性だ。とんがっていてファッションやカルチャーに敏感で、いつでも先を、尖ったものを見続けているような人だった。そういう彼女がかっこよくてとても好きだった。

ある日彼女はわたしにこういった。

「あなたは東京に住んでいる。朝になれば美術展がが開門する。19時の時報と共に東京中の劇場が幕を開ける。東京に住んでいるあなたはなぜそこに駆けつけないの?」

彼女の気持ちがとてもよくわかった。胸が痛んだ。返事は返せないままだった。
東京に住んでいるわたしは「選ばれた人間」なのだ。大きな苦労をせずにいろいろなものを生まれた時から掴んでいる、幸運な一握りの人間。そう見えていたのだろう。東京に生まれて住むというのはそういうことだったようだ。たった30年前の話しだ。
そのあとしばらくして彼女は東京を通り越してアメリカ、ニューヨークに飛んだ。帰ってきた噂は聞いていない。

飢餓感や、環境があるのに動かないものへの怒り、理解しがたい気持ち。そうなのだ。彼女は得ようとしても得られないまま憤怒と憧れの気持ちを抑えずに、わたしを通り越してもっと刺激的で得られるものがあると確信した場所へ向かったのだ。説得する力、止める力を持たない当時のわたしはただただ、呆然と見送るだけだった。

なぜそんな話しをしたのか。
飢餓感と焦り、か。

こと食に関して、それはフィジカルなものにも繋がり、素直であり続ければいいと自分でうそぶいている。が、しかし実際はこの有様だ。生き物には時間が決まっているという代え難い事実があり、その中で特に人間はこんなことでくよくよ悩んだり考え込んだり座り込んでしまったりを繰り返す。

素直でいいのだ。近所の定食屋に行って冷やし中華でもしょうが焼き定食でも食べればいいだけなのだ。しかしいつでも「カレーじゃなくていいのか」はつきまとう。そんな毎日だ。

2015年8月19日水曜日

走行距離、8000キロ。納車より4ヶ月。

ハスラーXターボ4WD。新車で買って4ヶ月が経った。

6000キロををすぎてからだろうか、足回りがよく動くようになってきていると感じる。よく伸びてよく縮んで踏ん張ってる、と感じるのだ。
けっこうな頻度で日々乗っており、おかげさまで8000キロ。東京の都市部、臨海部に住みながらこのオドメーターの進みはずいぶん早いといえるだろう。


自宅の駐車場へのアプローチの手前にかなり波打った道が50メートルほどあってそこが日々通らねばならぬ場所となり、体感基準になっているのだが、フリクションが減ってぴょこぴょこしなくなってきているようだ。初めの頃はこんなにからだを揺すられるのかと驚き、少々後悔などもした。

CCVとしての資質も持ち、味付けも昨今の乗用車的なSUVよりCCV寄りにしてあると言われるこの車。腰から上を大きく揺さぶるような感覚があったがそれもだんだんしなやかな動きになってきた。正直慣れもあるだろうし、個人の感覚の部分もあると思うのだが、なかなかこなれてきていると感じる。ツルシで乗るならならこれで十分。そう思わせる出来だ。
心なしかロードノイズもエナセーブの市販用に変えて低くなった感もある。

ハスラーの中で最も重量の重いターボ4WDのグレード、盛夏時期でエアコンは入れっ放し、10分、20分の停車時のエアコン稼働させながらのアイドリングと過酷な使用環境で16km/l のメーター読み燃費が出ているのは上出来だろう。秋になっての燃費向上もまたあるだろう。楽しみだ。


いい販売店に出会えたこともうれしかったしそれも含めていい買い物をしたととても満足している。なにより車を降りて振り返ると水色の愛らしいボディが目に飛び込み、これがとても楽しい。

また遠くまでいこう。

2015年7月15日水曜日

サイゼリヤにおいしいものを食べにいく、というはなし。

皆さんはファミリーレストランなど使ったりするだろうか。
どこにでもあって、値段もわかっていて、便利な場所だ。

例えばサイゼリヤ。みんなが知っているファミリーレストラン。それもセグメントとしてはお安めの方向。でもこれを下に見たりバカにしちゃあいけない。そう思っている。
わざと極端な例を挙げるというものではなく、ケレン味のつもりもなく。
サイゼリヤ、素直においしいと思うのだ。
なんといったらいいだろう、みんなが好きな味、でもちゃんとサイゼリヤというレストランの特徴を感じる味。世界観がある。それを上手に、こちらから迎えにいって楽しむ、というようなスタイルを考えてみるのは楽しいものだ。

どうにも世の中の多くの人は、楽しみ下手だと言わざるを得ない。

むやみにクラスを上げていって「ここから下は食べない、認めない」と肩を聳やかす人もいる。
逆に上も横も見ないで駐車場があって長居できるからという理由だけでファミリーレストランを選び、そこから他をみようとしない客もいる。そういう客とそういうわけではなくやってくる客が鉢合わせしてしまうところがファミリーレストランの弱点なのかもしれない。

サービスはすべてお店側が用意してそれをただ楽しむだけ、そう思っている人が多いのも気がかりだ。
向こうから全部やってくる、という考え方。上を向いてそちら以外は耳を傾けないというスタイル。
けれど、自分から気持ちをそちらに向ける、楽しい方に歩いてゆく、そういう、努力というほどのものではなく気持ちの切り替え、考え方一つで楽しみの幅とその受容量が増える、というやり方があるのを忘れている。
ようは思うこと、なのだろう。楽しく思う、楽しみに思う。ここにはじまりがある。
間違えてはいけないのが「楽しむ」のであって「楽しませてもらう」という考え方ではいけない、ということ。

本物の大人、本物の紳士はどんな場所でどんな食事を出されようとそれを楽しもうとするものだ。
そうありたいと思っている。

2015年7月11日土曜日

カメラをなくした。わかったことがあった。

カメラを紛失した。

イベントの帰り、湯島界隈ににクルマを止めてデリーで夕食とろうと思ったときに気がついた。クルマの中、どこを探しても見つからない。3分ほど考えてするりとあきらめた。あきらめがついた。そしてそんな自分に驚いたのだ。

強く思ったことは「ああ、今日のイベントで撮った動画と写真がオシャカだなあ。写真はWi-FiでiPhoneに7割方飛ばしておいたからいいけれど、動画がもったいなかったなあ。仕事の動画じゃなくてよかった」ということくらい。意外や、カメラ本体に執着していないことが自身でわかった。少し驚いた。

なくしたカメラ、いま手持ちのカメラで一番使用頻度が高く、ほぼ100%外出時に持って行く取り回しのいいコンパクトカメラ、CanonのS120というモデルだ。描写や性能も十分に満足していて仕事で大いに活躍してくれる。実用機だがシャンパンゴールドのボディにちょっと色気を出そうかとベージュのリザード型押しの張り革を施した。それなりに気に入っているのだ。


実は食事を終えてほどなくどこになくしたかを思い出して連絡、事なきを得たのだが、そのときの自分の心の動きで色々わかったことがあった。
カメラ本体には特に愛情を持っていないのではないか、ということ。
本当に重宝で、吐き出される画にも満足しており、小さくじゃまにならずで言うことがない。持っていても「いいカメラだね」と人に言われることも多い。
が。なんとなく、であるのだが本当に実用のための機械であって「これじゃないと困る」というよりこのレベルの画が得られなければ困る、と言う感。使用感とコンパクトさが変わらないのなら同等で他社のものでもいい、とさえ思う。めんどうなUIが変わってしまうことを除けば、だ。

このカメラの前にNikonのP310というカメラを使っていて、こちらはなんとなくモノとしても気に入っていた。こわれて同形の新しいモデルを買ったらどこかなにかしっくり来なくて使わなくなった。後継機でUIも変わらずすんなり受け入れられるかと思ったら、 どうも持った時の質感や重さが違うように感じてしまったのだ。3台も使うとそういう部分はわかってしまう。一部さわった感じが変化していたのはものとして気に入っていたはずの気持ちを削ぐものだった。

とにかくカメラは道具だ。わたしにとってはそういうものだ。忠実にいい仕事をしてくれるパートナーであることを望んでいるのだ。